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上高地の思い出 ②

高校時代の恩師は岐阜の高山出身でした。金沢美術工芸大の日本画を出られた方で、その先生が私の担任、および部活の顧問でした。先生のアトリエに連れて行ってもらったとき、日本画の絵の具が棚にずら~り並んでいて、先生の本業は高校教師ではなく、このアトリエでの仕事なんだ、と思い知りました。

それで美術部の合宿は先生の故郷の飛騨高山方面になるわけです。

この先生のお陰で、私は日本画を志すことができて、上高地にも行くことができました。人生の恩人です…。

数年前になくなられる直前、先生の個展会場でお会いしたのが最後でした。あちらに行ってもきっと飛騨の山々の絵を描いていると、いつも思うのです。

3回目に上高地に行ったとき、私は日本画コースの非常勤講師で、先生のもとで働いていました。
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河童橋につき、感無量でいると、先生が突然「あっこ~、この奥にある明神池に行ったことあるか~」とニコニコしながら話しかけてきました。「ないですよ~」というと、「え、ないのか?行ってこい!あれは絶対見た方がいい」というのです。でも自由行動はたった1時間、生徒をほったらかして一人でそんなところ行っていいんですか?と言うと「いいで、とにかく行ってこい」というのです。
私:「ちゃんと1時間で戻れますかね?」
先生:「わからん、どのくらいかかるかは知らんけど、でも行ってこい!」
…ということで、とにかく明神池というところまで、一人で行くことになりました。
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天国のような梓川の左岸に沿って歩くと、あまりの美しさにうっとり…。けれども、とにかく片道30分、往復1時間で行かなくてはいけません。バスの出発まで1時間しかないので、私が遅れたら大変なことになります。
穂高を目指す登山客が大勢いる中、勘違いなリゾートっぽいサンダルで、私は必死になって小走りに走りました。

そのとき、不思議なことが起きました。或る地点まで来たとき、周りの観光客や登山客の雑踏が全く耳に入らなくなったのです。ふと気付くと、白衣の求道者、というか行者さん?が横にいる気配がしました。目には見えないけど、確かに私の横にいる…。同行二人、とは言いますが、私の人生においても、必死になって生きる私と足並みを揃えて苦悩してくれる存在がいつもいるんだ、と思い、また無我夢中で進みました。

そして、ぴったり30分で明神池にたどり着きました。

池の上には思わず声を上げたくなるほどの雄々しき穂高連峰がそびえ立っていました。

何故か懐かしく、遠い遠い昔…まさに神代の時代の記憶が全身に打ち震えるほど蘇り、自分が何故今生きているのか、何故今絵を描いているのか、その理由が瞬時に伝わってきました。その時の感覚はちょっと言葉では表現できません…

この人生において、この場所に来れたことを心から感謝し、今度は梓川右岸に沿って河童橋のバス停へと向かいました。ふと気付くと、もう白衣の行者の姿はなく、横にいてくれたのは、すっきりとした、女性の神様?に変わっていました。

道中たくさんのメッセージが降ってきました。その言葉のひとつひとつを心に刻みながら歩いていると…「この先はもう人間の世界なんだよ」という声がしました。え?と思い、勇気を出して一歩踏み出すと、今まで消えていた、周囲の雑踏…登山客や観光客のおしゃべりや足音などが、ざぁ~っと入ってきて、いつも通りの普通の世界に戻ってしまったのでした。

バス停にたどり着くとぴったり1時間、生徒達はみんなバスに乗って待っていてくれました。先生は「おぅあっこ~行ってきたか~」とのんきな様子で、1時間で帰ってくるの大変だったのに、と思いましたが、この先生の限りなくアバウトな性格のお陰で、私は人生で忘れることのできない貴重な体験をすることができたのでした。

日常の世界に戻っても、今、この1時間の間に見たこと、受け止めたメッセージを、私は決して忘れない、そう思い、梓川を後にしました。

後になって、上高地の名前の由来が「神降地」といって、高天原伝承を残す聖地であると知りました。また河童橋から明神池までのコースは往復2時間くらいかかるのが一般的らしく、別に猛ダッシュしたわけでもないのに、計算したようにぴったり一時間で行ってこられたことも、思えば本当に不思議なことでした。

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辛いことがあるとき、心をニュートラルに戻したいとき、上高地、梓川のほとりを思い出すのです。

by akikomoriya | 2012-08-11 12:05 | おしゃべり
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