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日本的な自然観 モネの「睡蓮の間」

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静岡新聞 金曜日の文化芸術面です。内容がちょっと難解だったかなと、落ち込んでましたら、日本画教室のお生徒さんは「今回のが一番分かりやすかった~」と。ホントですかぁ~?
別なお友達からは、何度読んでもよく分からんと言われ・・・今後の方針を考えなくては・・・
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日本的な自然観 モネの「睡蓮の間」              
            日本画家 森谷明子

初夏の水辺の風物詩、睡蓮。ぽつりぽつりと水面を漂う灯りのように、何とも可憐な花である。40年近い歳月、睡蓮を描き続けたモネも、毎年この季節を心待ちにしていたに違いない。
池全体を横から眺め、その一部として睡蓮を描いていた初期の作品にくらべ、水面のみを俯瞰し、光と陰のゆらぎの中に浮かぶ花冠に焦点を当てた晩年の作品は、モネと睡蓮が一層近しい関係になったこと感じさせる。
オランジュリー美術館の「睡蓮の間」には、日本の襖絵を彷彿とさせる睡蓮の大作がある。ジャポニスムの画家モネが、果たして日本の襖絵や屏風の実物を鑑賞する機会があったかどうかは分からないものの、横へ横へと広がり鑑賞者を包み込む日本の絵画様式を、おそらくは知識として心得ていたのだろう。
西洋の場合、壁画や天井等の大画面に描かれるのは、おおよそキリスト教を題材とした物語絵であった。崇高な神の世界が人々を見下ろし、同時に神の偉大さを表した。一方で日本の場合、人間を取り巻くものは、やはり自然でなければならなかった。
そして、人間界と自然界との境界の曖昧さもまた日本人特有の概念である。例えば日本の家屋は、縁側のように、外なのか家屋の一部なのかが判然としない不明瞭な境界を経て、住居の領域が存在する。さらにその住居空間も、襖と障子を開け放ち、柱だけになった室内から庭を眺めていると、そこもまた庭の一部であったような気がしてくるから不思議だ。
日本人とはそれくらい、自然との距離が近く、また自然からの隔離を嫌う。
自然に包まれる喜びを屋内にも取り入れるために、襖や屏風には自然の風物が描かれた。 
西洋人にとって自然とは、長い年月「人間が支配するべき対象」であり続けた。しかし、オランジュリーの「睡蓮の間」は、もはや自然というものが、支配されるという呪縛から解き放たれ、人間を包み込む神秘なる存在へと、価値が高められたことを確信する、モネなりの到達点であったのだと思う

by akikomoriya | 2016-06-15 17:32 | ジャポニスムふたたび
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