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相馬高校の講堂

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相馬のお城の外堀にヒツジ草が満開でした。

12日の相馬でのイベントは本当に素晴らしくて
朗読をしてくださったラジオ福島の菅原アナが
ご自分の番組でもこのイベントのことを凄く褒めてくださったとのこと。
本当に嬉しい・・・

今回、日頃出不精な母が張り切って相馬にまで着いてきまして
実は母は幼い頃、相馬高校の敷地内の官舎に住んでおりました。
というもの私の祖父は
戦争前後、ちょうど相馬高校の校長職にありました。

今回のイベントは奇しくも
祖父が努めていた相馬高校の美術部が全面的に協力してくださって
あまりの偶然に、母も私もビックリ!

今の浜松北高校を首席で卒業した祖父は
国からの推薦を受けて国家の教育制度に尽力すべく人物として
授業料免除、生活費支給に加えこずかいまで支給されて
今の広島大に迎えられ
卒業後は福島県に派遣され、幾つかの高校で数学の教鞭を執りました。

当時どこの高校でもそうだったように
相馬高校の教え子も、何人も特攻隊として送られ
最後のお別れに母校の上空を何度も何度も低空飛行して
戦地へ行ったと聞きました。

終戦の瞬間
祖父は何を思ったのだろう
それまでは、君主や国家のために命を捧げることは当然のように思う
典型的な明治の人であったかも知れない。

けれど、あの戦争が終わって、遅からず気付いたと思う。
世界戦争というものが、それまでの日本の国内の戦いのように
仁義や礼節、忠信といった美学に支えられるものでは決してないと言うことを。

静岡に帰ってからは
貧しい生徒や、能力がありつつも機会に恵まれない生徒に声を掛け補習をし
何人もの生徒がそこから医者や弁護士になっていったと祖母が言っていた。
戦争のことは、死ぬまで誰にも何も語らなかったらしいけれど
贅沢もせず黙々と人のために働く生き方が、それを物語っていたように思う。

イベントの前日の夕方
母と相馬高校を尋ねて
戦前からある講堂の前で何となく空を見上げていました。

ここで特攻隊を見送り
ここでで終戦を迎えた祖父は
どんな気持ちで静岡に戻ってきたんだろう・・・

明治の人らしく忍耐を常とし
呼吸の困難を訴えたときはすでに手遅れで
入院してからあっというまに逝ってしまった。

優しくて、だじゃれ好きで、働き者だったおじいちゃん

また、ここからはじまるよ。
今、自分に出来ること、私も精一杯やってみるね。


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補強工事中の戦前からある講堂
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最後に母が大事にしている
当時、相馬高校の美術の先生が描いて下さったザクロの絵。
母の幼き日の相馬の思い出と共に、これは母の宝物です。
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by akikomoriya | 2016-06-17 18:37 | 平和な世界を求めて
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