「見返り美人の美学と醍醐味」 日本画家 森谷明子
美人を描くのに、わざと半分しか見せない、あるいは後ろ姿しか見せない、というのは、よく考えてみればかなり奇妙な文化だと思う。源氏物語絵巻では、哀しみにうちひしがれる姫君の顔は、たいてい扇か袖で覆われているし、百人一首の絵札でも、美人は黒髪しか見せてくれない。日本の古典画には、表情豊かな人物画も数多くあるのだが、美人は後ろ向きの方が趣があるとされる。 西洋画の場合、美人はその美貌を余すところなく、あるいはそれ以上に描かれるのが常である。美人に限らず人物の表情というものは、受胎告知ならマリアの驚きを、十字架上のキリストは耐え難い苦痛を、見る人に克明に伝えている。こうした日本と西洋の表現の違いは何によるものであろうか? 日本では、最も美しいものや大切なものは、見るよりも想像する方がはるかに醍醐味がある、という考え方がある。例えば原作を読んでから映画を見ると、頭の中で膨らんだイメージと実写とのギャップで落胆してしまうことがよくある。その落胆を回避するために、肝心なところは見る者の想像力に委ね、あえて描かないのが日本流である。日本人とはそれほど想像力豊かな民族であった。 以前、ヤマハから出版されたピアノの絵本の挿絵を描いたことがあった。一番のこだわりは「表紙」。ピアノを弾く女の子の後ろ姿を描いたのだが、編集の方から「顔が見えないと分かりにくいのでは?」の指摘があった。悩んだ末、思い切って静岡市内にある小学校でアンケートをしてみたところ、圧倒的に後ろ姿の絵が支持された。理由は「女の子の顔が色々想像できて楽しいから」。 素早く札を取れるテクニックも必要だが、たまにはしみじみと絵札を眺め、心の中で姫を振り向かせてみるのも悪くないと思う。
by akikomoriya
| 2017-01-09 18:26
| ジャポニスムふたたび
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