例えばチョコレートケーキを乗せたお盆が
うっかりひっくり返るとする。
Aさんはひどく落胆し場合によっては相手を責めるかもしれない。
Bさんは寛容にとらえてまあまあとその場をなだめる。
表面だけ見るとBさんの方が好ましいように思える。
でも
その内面を見たとき
Aさんはケーキをすごく楽しみにしていて
Bさんはそれほどケーキが好きでなかったとする。
そうなると
大切なのは怒っているか寛容であるかの表面ではなく
その人の心が何を求めているか、だという。
つまり
「チョコケーキ、本当に大好きだったんだね」
「それで辛かったんだね」
を共有することで
Aさんは癒されてゆく。
「聞く」ということは
ただ解決策を見つけることではなく
非難したり
常識で片づけたり
相手を教育することでもなく
「あ~わかるわかる、私もそう」と自分の物語を語り始めたり
むやみに共感するものでもない。
目も合わせず他のことをしながら
話をさっさと切り上げさせたり
話題をちゃかしたりはもちろん論外。
大切なことは
その奥にある「満たされていない気持ちや感情」
に寄り添うこと。
それを「話し手」と「聞き手」が共有すること・・・
と、これらを実際ワークショップで体験するものだった。
ワークショップをしながら
最近私は落胆したり不快に思うことが増えたなと思った。
それは寛容でないからではなく
相手が大切な人であったり、大切なものであるからこそ
腹が立つんだと思った。
そして
その気持ちを共有されることなく
「小さなこと」として軽んじられるから
最近
何となく寂しく、漠然と落ち着かないんだなと思った。
「聞く」って本当に大切なこと。
人間にしかできない技だなと思う。
自我を捨てて心から相手と同化し
相手の話を聞く。
それって
まさに神の姿なのかもしれない。