日本人は「品」という言葉に弱い。 たとえ富や名誉があろうとも、「あの人は品がない」と言われると、そのすべてが無に帰してしまうほどの価値が「品」という一語に秘められている。日本語を翻訳するにあたって、おそらく最も訳しにくいと思われる、その「品」とは果たして何であろう。 飛鳥天平の頃より、天皇から民へ命じられる文書を「宣命」といった。その中に繰り返し登場し、国民に求められてきた要素は、意外にも「富めよ増やせよ」といった物質的な問題ではなく、心の在り方としての「明き清き直き心」であった。 「古事記」において「清く明き心」は素戔嗚尊が高天原に入る為に厳しく問われた条件である。また「続日本紀」では、「明き清き直き」は、「下心もってへつらったり、欺いたりすることなく 等と具体的に示され、こうした誠実な生き方を、古代の人々がこのうえなく重んじていたことがわかる。おそらくは、これが日本人として求められる価値基準の最高位であり、後の「品」の基準に繋がったのではないかというのが持論である。 さて、この「明き清き直き」を具体的な事象に置き換えてみると、「明」は日月の光の様に陰りないもの、「清」は水の流れの様によどみなく、「直」は植物の様に素直なもの、である。「明き清き直き」が何であったか迷うとき、自然の中に身を置くことで、それを思い出すことができるというのが日本人のやり方である。 「品」とは単なる立ち居振る舞いや形や容姿をもって語るものではなく、内側からにじみ出るものを示している。その定義は依然として曖昧である。が、その人の前に立った時に、あたかも竹林をざわめかす一陣の風がよぎるような、また眩い一筋の光が差し込むような心持がするならば、それが日本人の品格、ということなのだろうと思う。
by akikomoriya
| 2018-03-19 15:06
| ジャポニスムふたたび
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