ジャポニスムふたたび 40話

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ジャポニスムふたたび

 

風物の美感じ 「我」捨てる

日本画家 森谷明子

 日本の古典には、春秋どちらを好むかという何とも優美な論争がある。春といえば花、朧月夜、茂れる若葉。そして秋は名月、紅葉、風など。いずれもそれぞれの趣があり、甲乙つけがたい春秋論争である。

 こうした論争で最も古いのが、額田王に春山と秋山を比べさせた万葉集の「春秋の競ひ」である。

「寒さも和らぎ春が来れば、鳥も鳴き始め、花も咲き始めるが、葉が茂ると草深く、近くまで行って花を手に取ることは難しい。一方で秋は色づいた葉をこの手に取ることができる。」というもので、額田王は、はじめ春山を讃えつつも最後に秋山をとる。

 ただ、我々現代人にしてみれば、こうした春秋論争など、随分と暇なことだとつい思ってしまうものだが、森羅万象へのこだわりある観察は、実はよりよく生きるために非常に有効な習慣であった。

放っておけば、際限なく己の欲望達成のみに邁進し、果ては地位と名誉、物質的な贅沢に溺れてしまうのが人間である。この世の混乱の根源ともいえるその自我を滅却するとなれば、時として宗教の門を叩き、難行苦行を重ねることもあるだろう。

花が咲けば花見をし、秋は紅葉狩り、夏は清流を求め、冬は星を仰ぐ。我を忘れ時を忘れ、取り巻く風物の美しさを心から堪能するその繰り返しは、実は知らず知らずのうちに、我を我をと思うその我を忘れさせ、自我に溺れる淵からの救いとなる。

我を捨てれば捨てるほど、風物の美しさは心に深く感じ入り、その喜びを確かめるために、多くの歌人は歌を詠んできた。

春がよいの秋がよいのと論じつつ、霊妙不可思議な森羅万象の変化に対し、絶え間なく耳を澄まし、息を凝らし、目を凝らす習慣。それこそが、「我」を捨て去るための厳しい修行にとってかわる、有難くも美しい、日本流易行道なのである。



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by akikomoriya | 2018-09-17 19:05 | ジャポニスムふたたび
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