ジャポニスムふたたび41話

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静岡新聞22日朝刊 ジャポニスムふたたび 41話
『「おのずから」待つ慎ましさ』



「おのずから」という言葉が日本人は好きである。そして貴んでいる。どのくらい貴んでいるかといえば、そもそも日本人にとって最も尊重すべき「自然」という語の本来の意味は「おのずから」である。人間の手など入らずとも生々流転し謳歌される、大いなる「おのずから」の世界を、明治以降「自然」と呼ぶようになった。

「おのずから」は、たった一粒の種の中にも作用している。おのずから発芽し、花開き、結実し、翌春またおのずから芽を吹く。種を撒くのは人間の手であっても、雨を降らせ、日を照らせ、森羅万象を生かしめるのは、大いなる「おのずから」の力である。農業とはまさに人間と「おのずから」の共同作業であることを日本人はよく知っていた。

さて、日本人の造形活動には明確なひとつの方向性がある。それは人間の手業のみに固執せず、「おのずから」の作用を待つ慎ましさである。絵画、建築、造園ではゆったりとした間がどうしても必要であるし、芸能、武道では呼吸を重んじ、文学は句間行間に余韻を持たせる工夫がある。和歌俳諧に始まる日本人のあらゆる造形活動は、いずれも「おのずから」という見えない流れとの共生を求め、そのコツを提示している。

これを「国造り」という造形活動に提示したのが聖徳太子であって、十七条の憲法第一条の「以和為貴」もまた「おのずから」が重要な要素となっている。

「争いを避け、身分の上下に関わらず皆が和を心掛けるならば(中略)物事はおのずから開けて、万事成就する」と、聖徳太子は「おのずから」の摂理を国の指針の筆頭に挙げている。

和を志す「人の心」が種を撒き、万物を生かしめる「おのずから」の力がそれを成就させる。いわば天と地の結び目に生じるという「万事成就」の摩訶不思議を、日本人として体現したいものである。



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by akikomoriya | 2018-10-24 20:21 | 日本画
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