『雨を表す言葉美しさに満ち』 森谷明子
西洋の古典画で雨を描いたものを見たことがない。 そもそも西洋において風景画の位置づけは低く、雨に美を感じるといった文化も育たなかったのだろう。 ゴッホが丹念に模写した浮世絵の中に、広重の名所江戸百景「大橋安宅の夕立ち(おおはしあたけのゆうだち)」があるが、油絵具とブラシで丁寧に描き写された雨筋の一本一本を見るにつけ、ゴッホがどれほどこの作品に心酔していたかが伝わる。 西洋の人々にしてみれば、雨をモチーフとして選んでいることにまず驚き、その雨を糸のように美しい線で表現する手法に衝撃を受けた。 恵みの雨とはいえ、じめじめと濡れる鬱陶しさは決して喜ばしいものではないが、日本人はその雨を楽しむことができる。雨足の気配を感じ、雨音に耳を傾け、細やかな心で雨を観察している。それは雨を表現する言葉の多さにも表れている。 「にわか雨」、「村雨」、煙るような夕立ちの「白雨」。冬に降る「時雨」、春先にそぼ降る「菜種梅雨」、花を濡らす「紅の雨」、春の長雨「卯の花くたし」、そして「五月雨」、そろそろ梅雨かなと思う「走り梅雨」に梅雨明け間近の「返り梅雨」。 雨に関わる美しい言葉にいざなわれ、ふと気づけば鬱陶しさは消え失せ、趣深い対象として雨を受け止めている。日本人の言葉遊びの巧みさである。 雨を表す日本語は数百もあるというが、こうした美しい表現は、俳句の季語としてだけでなく、現代を生きる私たちが何気に見聞きする日常のなかに散りばめられている。 日本人とはつくづく幸せな民族である。 雨、というただそれだけの現象を、何百通りにも味わい尽くす。 教育とは高次元の感受性を育てるもの、という言葉を聞いたことがあるが、古き良き日本の読み書きの学びには、そうした霊妙で麗しい喜びが満ち満ちていたのだと最近しみじみと思う。
by akikomoriya
| 2019-06-17 20:47
| ジャポニスムふたたび
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