海の日ですがちょっと肌寒いですね。皆様いかがお過ごしですか?
本日静岡新聞朝刊、「ジャポニスムふたたび 50話」です。
静岡の花から 日米友好の絆 日本画家 森谷明子
先日「全米さくらの女王」が来静され、静岡ユネスコの一員として歓迎会に出席した。米国で愛され続ける「ワシントンの桜」は静岡市興津で育てられた桜だという。
ことのはじまりは、明治にまでさかのぼる。桜の季節に日本に滞在した米国の来訪者たちは、上野や墨田川でくり広げられる花見の情景に圧倒された。一面桜で埋め尽くし、薄紅色の夢幻世界をつくりだす日本人独特の園芸手法。その桜尽くしのただ中で、しばし日常を忘れる人々。桜は北半球温帯に広く分布するものの、日本人ほど熱狂的にこの花を求め、愛でる民族はない。
彼らは自国にもこの桜の文化を伝えたいと願った。やがて桜を介して両国の友好を願う日米双方の人々の努力と情熱が、それぞれの政府を動かし、桜の寄贈計画が持ち上がる。
興津園芸試験場の活躍は、寄生虫や病気のない完ぺきな苗木を作ることだった。海を渡る日米友好の苗木づくりに誇りを感じた技術者らの、職人気質の見せどころであった。
そして1912年(明治45)、桜に魅せられた人々の夢と希望を受けて、興津で育った6040本の桜の苗木が、ついに太平洋を渡った。
戦時下のワシントンでは、桜が憎しみの標的として伐採されないよう「日本の桜」ではなく、「東洋の桜」と名前を変えて守られ、終戦後は2年で桜祭りも再開された。その翌年からは「全米さくらの女王」の選出が実施され今日に至る。
日米の友好の絆は、戦争という国家の都合に引き裂かれることなく、現在に引き継がれている。それは「桜を愛でる」という文化の上に築かれた、美しくも堅牢な平和の砦である。
ちなみに、1915年(大正4)に桜のお礼として米国から「ハナミズキ」が贈られ、現在静岡市の木となっている。
花が築いた平和の砦。静岡という場所に、またひとつ美しい物語を発見した思いである。
森谷明子日本画遊々
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