![]() 自然音は「言語」 日本語の不思議 夜もすがら虫の声が響く季節になった。 最近は、わざわざ鈴虫やコオロギを購入してその声を楽しむ人もおり、リーンリーン、チロチロなどの響きは、今も昔も日本人が好む秋の風物詩である。 ただ、日本以外の国では、この涼やかな虫の声というものを、雑音として聞き流してしまうという。虫の声だけでなく、風の音、雨の音、川のせせらぎ等の「自然音」は、人間の脳の中で「音」として認識されるため、ともすればエアコンや高架の騒音と同じように、脳の中で「雑音」と処理されてしまうのだ。 しかし、その例外が日本人の脳であって、これら「自然音」を「音」ではなく「言語」として認識する、特異な性質を持っているという。 実は、「音」と認識するか「言語」と認識するかで、受け取り方に大きな違いが生じる。「音」には意志は無いが、「言語」には意志がある。言葉とは、生きている何者かの意志ある声である。 したがって、日本人は、虫が音を発している、と感じるのではなく、虫が歌を歌い、言葉を語っている、とみなすのである。 『花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いずれか歌を詠まざりける』は古今集の冒頭であるが、動植物や山川草木との対話を示唆する日本人と自然の親しい関係は、脳の研究からも読み取ることが出来るという。 ところで、なぜ日本人の脳だけが、こうした性質をもつのだろう。 長年研究に従事された角田忠信博士によれば、日本人の特異な脳の性質は、どうやら「日本語」に起因するらしい。幼少期より「日本語」を母語として育つと、人種民族に関わりなく、自然音を「言語」として認識する脳の状態になってしまうのだそうだ。 日本語の不思議さには、あらためて驚かされる。 この秋は、虫の声に耳を傾けながら、その声の語るところを、丁寧に聴き取ってみたいと思う。
by akikomoriya
| 2021-09-06 20:31
| ジャポニスムふたたび
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