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ジャポニスムふたたび 80話          ただ「見る」行為の尊さ


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毎日毎日寒いです・・・冷えます・・・

早く春が来ないかな・・・

今月のジャポニスムふたたびはなんと80話になりまして

8年近く連載しておりますことに気付きました。

あらためて読んでくださる皆さまと、静岡新聞の編集の掛井さんと

ずっと応援して下さっているユネスコの秋田さん・・・

有難うございます<(_ _)> 

あと一年くらいは続けようと思っております。

引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。


ただ「見る」行為の尊さ

河の辺の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は

万葉集・巻一・56の歌である。

 「つらつら椿」は語呂もよく、ふと口を突いて出る心地よさがある。まだ春浅き山野を歩けば、深い緑の茂みの中に、赤い藪椿が灯りのように見える。少しうつむき加減に咲く姿もなんとも可愛らしい。つい時を忘れ、つらつらと椿に見入ってしまう。

 さて、「見れども飽かぬ」は今の言葉で言えば「見飽きない」ということで、万葉集の中では慣用句のように使われている。

 富士山を讃える高橋虫麿の長歌にも「・・・駿河なる富士の高嶺は見れど飽かぬかも」とあり、富士山を仰ぎつつ「見ても見ても見飽きることがない」と感じる気持ちを、時代を超えて共感することができる。

 前置きが長くなったが、日本には「見る」という文化がある。たとえば「花見」「月見」「雪見」といった具合に、ただ「見る」という行為を尊ぶ文化である。見たからといって、その先に何かがあるわけではない。ただ「見る」という行為が尊いのだ。

 人は何かを見ている時、実は目の前にある風景だけではなく、様々な思いを巡らせている。過去の出来事や、誰かとの会話、あるいはこの先のことなど、何かを眺めながら、つらつらと思い巡らしている。

 そして、「見る」という静寂の中で、人は己の思いを客観視し、あるいはリセットし、あるいは、見て見て見入るうちに、心が澄み清まって、花や月や雪からも、直観的に何らかを受けとることが出来る。

「ただ見る」という行為は、実は自分の心の状態を整理し、浄める効能がある。いにしえの人々は、この「見る」という行為を重んじた。

「見れども飽かぬ」。心を透明にし飽きることなく対象に見入る人でありたい。私の好きな万葉集の言葉である。


by akikomoriya | 2022-01-25 22:05 | ジャポニスムふたたび
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