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ジャポニスムふたたび 81話 「古典表現から享受する叡智」

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『ジャポニスムふたたび』月曜日朝刊です。
「古典表現から享受する叡智」
言葉の役割を「情報伝達」のツールとしてのみ扱う風潮が増している。もしも言葉に情報伝達としての価値しか置かないのであれば、古典表現ほど無用なものはないだろう。実際、役に立たない古典文法を覚えるくらいなら、英単語をひとつでも多く覚えた方が有益だと思っている学生は多い。
しかし、これは大きな間違いで、感性が愚鈍化する現代において、日本の古典表現ほど、現代に役立つ叡智を与えてくれる学びは無い。
その叡智とは何かと言えば、ひとつは自然と対話する力である。
たとえば、「古池やかわず飛び込む水の音」。これを情報として受け取るならば、「古い池に蛙が飛び込んだ際に発生した音」という、あまりに無意味な情報になる。しかし、その言葉の響きを堪能できる素養があれば、自然が有する静寂や、情趣、自然との一体感などを、時空を超えて共有することが出来る。
現在の地球社会で最も欠落している能力、それは自然の風物との対話力ではないだろうか。日本の古典表現は、自然との対話という高次元の技を、日常の中で優しく伝授してくれる得難い存在である。
さらに、古典から享受できる叡智をもうひとつ上げるとしたら、それは「言霊」である。古典の中で紡がれる表現は、言霊を強く意識していた時代の響きであり、現在において消滅しつつある概念である。いにしえの人々は、美しく削ぎ落とされた純度の高い言葉の響きによって、物事を具現化させる技を駆使していた。古典を暗唱することでその感覚を現代に蘇らせることが出来る。
人と人との情報伝達だけならば、英語は確かに優れている。しかし、人間以外の存在、自然や目には見えないあらゆる事象と心を通わすためには、日本の古典表現ほど優れた言葉は無いように思う。
本来の日本語の持つ響きを、いつも心のどこかに置いて生活したい。

by akikomoriya | 2022-02-22 23:21 | ジャポニスムふたたび
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