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山吹の咲く頃

あれよあれよという間に
いろんな花が咲き続けております。
早くも藤が咲き始め
今年の春は何もかもが早い!
いつもは四月中旬から咲き始める山吹も
早くも満開を過ぎてしまいました。

子供の頃に住んでいた羽鳥の家は
屋敷が広かったこともあり
四季折々にいろんな花が咲きました。
小学校2年生の春でした。
何を考えたかませガキの私は庭の花を一輪折って
一輪挿しにさし
「蕾でもいつかはきっと花が咲く」と詠みまして
その俳句を添えて
祖父の文机に置いてみたのでした。
今考えてみると
顔から火が出そうなくらい恥ずかしいことなんですが
子供のころってそういうことも平気でやってしまうのですよね…

帰宅した祖父がそれを見て
随分と驚き
「うちのチビがこんなことをした」
と来る客来る客に見せていたのを覚えています。
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その羽鳥の家には
屋敷の北側にちょっとした池があって
濡れ縁から池の鯉に餌をやるのが習慣でした。
池の畔には八重の山吹が咲いておりました。
子供ながらにいい感じだと思って見ておりました。


自分にとって山吹は美しくも悲しい。

池の畔で春の長雨に打たれながら色褪せてゆく山吹…

桜のように、美しいままに惜しまれながら散るでもなく
椿のように、これもまた美しいままに潔く落ちるでもなく
ただ生きながらえて色褪せてゆくしかない山吹を毎日見ていて
なんとなく寂しく悲しい気持ちだったのを覚えています。

金色に輝いていた山吹は
春の終わり頃
見るも無惨に白々と色褪せ、しおれて終わります。

万葉集を読むようになって
高市皇子が詠んだ、妻である十市皇女の死を悼む山吹の歌を知り
以来すっかり魅了されています。
自分的には万葉集の中で一番寂しい歌だと思っています。

    山吹のたちよそいたる 石清水
       汲みに行かめど 道の知らなく


「山吹」は「お金」の代名詞みたいに言われますけど
この時代は「黄泉の国」つまり死後の世界の象徴でありました。
妻に会うためにその死後の世界を訪ねて行きたいのだけれど
そこへ行くための道が分からない…
そんな歌です。

万葉集には
死を悼む言葉がここぞとばかり繰り返される挽歌もたくさんありますが
この山吹の歌のもつ寂しさは
そういった挽歌よりもむしろ
しみじみと心に染み入るものがあります…

汲みに行かめど 道の知らなく…
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強風にあおられまたまたピンぼけに…
     

by akikomoriya | 2013-04-11 14:30

花の散る

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あっという間に桜が散ってゆきます。
今日は雨のようにさらさらと散る山桜を見かけました。

しづこころなく 花の散るらむ
ってのはこういう風景を言うのかな~と思いました。

駿府城周辺の桜も見事でした♪
日頃染井吉野はクローン桜だとか言って馬鹿にしてますが
いざ咲き揃うとさすがにあっぱれですね~★

いつだったか…もう10年以上前のことです。
三月の休みに奈良へ行って春日大社の近くのお宿に泊まり
早くに目の覚めた私と息子は
そっと宿を抜け出し
早朝の春日大社の参道をお散歩したことがありました。

前にも後ろにも人はなく
二人が砂利を踏みしめる音だけが辺りに響いておりました。

そのとき
ほつ ほつ ほつ…と不思議な音がしまして
二人でなんだろうと辺りを見渡すと…
それは花の散る音でした。

見たことのない桃色の小花が
ほつ ほつ ほつ…とわずかな音を立てて
砂利の参道に落ちるその様を
二人でしばし眺め…
なんともかとも幸せな朝でした。

宿に帰ると娘はすでに目を覚ましていて
お宿のお窓から鹿にチョコレートをあげておりました。
鹿にチョコなんてあげたらダメよと言うと
お兄ちゃんとお母さんはどこに行ってたのと睨みながら
チョコレートをあげていました。

その日娘は
はしゃいで駆けだしたひょうしに
鹿が屯する東大寺境内の土の上で転び
赤い上着が泥だらけになりました。
娘は
これは土じゃなくて乾燥した糞の粉だと言って泣きました。
あたりにはあたらしい糞も古い糞もぽろぽろ落ちていて
たしかに糞はやがて土になって行くようでした。

目の前で鹿が
ぽろ ぽろ ぽろ…と糞を落としておりました。

娘の泣いてるようすがまた可愛らしく
これまたしみじみ幸せを感じました。

奈良というと春を想い
春というと奈良を思い出します。
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by akikomoriya | 2013-03-28 20:07

龍の風

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28日まで銀座あかね画廊で
書 画 花のコラボレーション
復興への応援歌としてのそれぞれの表現。よりよき風が巻き起こりますように。

by akikomoriya | 2012-10-24 17:22

新緑の赤

日に日に緑が眩しくなる季節です。

この季節は一年の中で最も多くの「緑」が観察されます。

限りなく白に近い緑…限りなく青に近い緑…限りなく黄色に近い緑…

冬を越えてきた常緑樹の深い緑に加え、この一ヶ月あまりの間に芽吹いたばかりのやわらかな「新緑の緑色」たち!


そして意外にもそれらの「新緑」の中に赤い色をしているものがあります。まさに限りなく赤に近い緑、です!

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これは楠の新芽。かなり赤いですね~。赤から緑へとうつる微妙なグラデーション!
まさに自然界の技!

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これは馬酔木。アセビと読みます。
春先に白い可愛らしい花を咲かせます。
奈良の春日大社裏手にある馬酔木は有名ですよね♪

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こちらは樫の仲間。ややくすんだ茶色です。

その他に柿なども、この季節は毎日毎日みるみる色が変わります。くすんだ茶系の緑から、光るような黄緑へ!そうして秋の収穫の頃は虫食いだらけで限りなく黒に近い緑になります。
本当に自然のなせる技は美しい!

緑、赤というと秋の紅葉を思い浮かべますが、秋の紅葉とはひと味違った、もっとやわらかくてスモーキーなグラデーションです。

春の野山を描くとき、頭の中で「春先の新緑は…」と考えて、黄緑や明るい緑ばかりで描いてしまうと、春の風景にはなりません。

このくすんだ柔らかなグラデーションと新緑の中の「赤」をしっかりとらえないと、春先の緑の風景にはならないのでした。

by akikomoriya | 2012-05-01 18:45

つらつら椿

早くも明日は立春。今日は豆まきですね。

我が家の子供が「なんか今日はちがうねぇ。寒いけど、冬の頃と違うねぇ。丸子で梅を見ている日のようだ。」と言って帰ってきました。親ばかですが、丁寧に育ててきた甲斐あり、立春の陽気の変化をちゃんと感じ取ってくれていました。

風は冷たいけど日差しは日に日に眩しくなります。秋は風から、春は光から…ですね。あちらこちらで大雪が報じられ、寒さもこれからさらに強まるかとは思いますが、日の光は着実に春です。

日に日に明るくなり、春が近づいているのに、何故かこの季節、切ないようなちょっと寂しいような気持ちになります。12月の終わりは新しい年を迎える喜びでいっぱいなのに、春は別れの季節だったり、新しい出発の時期でもあるからか…この季節、なんとなしんみりしみじみ、静かに山野を歩くのが好きです。歩きながらこの一年を振り返ったり、心を静めてこれから始まる日々をイメージしたり、春は私にとってそんな季節です。

春先の山野をぶらぶら歩いていると、必ず椿に出会います。冬枯れの木立の中に赤い椿を見つけると、何とも言えず懐かしい気持ちになります。以前、三輪山山麓の「山辺の道」を歩いていたときも、冬枯れの道々、赤い椿が咲いていました。奈良には椿がよく似合います。万葉集にも椿の歌がたくさんあります。

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   紫は
     灰さすものぞ 
        海柘榴市の

    八十の衢(やそのちまた)に
   逢へる子や誰

        万葉集十二巻 3101 作者不詳


椿の灰は紫を染めるときには欠かせないもので、三輪山の麓では椿の市がありました。「海柘榴市」と書いて「つばいち」という地名が今でもあります。「つばいち」は市でもありまた、男女が歌垣を行う恋の舞台でもありました。海柘榴市で出会った、名前も名乗らず去っていったあの子はいったいだあれ?という歌です。


SBSのお生徒で、万葉集のかるたを作っている方がいらっしゃいます。万葉集から秀歌を100首選び、ご自身で絵も付け、解説書も書かれたという素晴らしい方!100首セットで5250円。詳しくは櫻田出版へどうぞ♪
http://sakurada.sub.jp/

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by akikomoriya | 2012-02-03 18:30

またまた絵本の話 ②

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制作中のヤマハの絵本、表紙はなんとか決まりそうでほっとしました♪
今全体の手直しをしていますが、ピアノの絵本だけあって、後ろを向いてピアノを弾いている姿が多く、ちょっと地味かな~と思ってはいるのですが、まあ仕方ないです…。

前回のブログで「後ろ姿から想像してもらえると…」と書きましたが、そういえばシュタイナー教育のお人形って、顔の無いお人形でした。

ドイツが近代化し社会が合理化してゆく中で、人間の本質を見失わないようにと生まれたのが「シュタイナー教育」なのですが、そのシュタイナーの理念にそって作られているおもちゃがあるのです。静岡では「百町森」という素敵な素敵なおもちゃ屋さんが鷹匠にありますが、一歩足を踏み入れると、そこは夢の世界♪♪♪
子供時代って確かにこんな雰囲気の中に生きていたな~と懐かしく思います。我が家の子供達はもう大きくなってしまいましたが、疲れたときなどふっと自分のためだけに、このお店に立ち寄ることがあります。おもちゃも絵本も素敵なものがい~っぱい♪♪

そこで扱っているお人形は、顔のないものや、顔があっても表情が単純なものばかり。つまり、手に取り遊ぶ子供が自由に想像できるようになっているのですね。ひとつのお人形は子供の腕の中で、老婆にもなり赤ちゃんにもなるのです。

以前つとめていた高校で、何をやっても感覚のよい男子生徒がいて、技術が高いとかうまいとか言うのではなく、その子の視点の広く深いことに毎度驚かされていました。あとで知ったのですがその子のお母様がシュタイナーの勉強に熱心だったと言うことです。もう一人同じように感覚の豊かな女生徒がいて、その子もふとしたことで、子供時代に顔のないお人形で遊んでいた、という事を知りました。本当に驚きました。

この絵本も、地味ではありますが、読み手の想像力を無限に引き出す、しなやかな絵本であるといいな♪と願っています。
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by akikomoriya | 2012-01-22 09:48

ジャポニスム、ふたたび。 ①

 3月の震災以降、日本人の心のあり方を問う場面が増えたように思います。

 日本人の忍耐強さ、勤勉さは世界でも定評があります。ありがたいことです。それ以外にも日本人の素晴らしい資質はたくさんあります。
 絵画や芸術というものは、それを作成した人の、人柄や考え方世界観などを如実に物語ります。同様に、その国の芸術文化を紐解くと、その国の歴史や民族性が本当によく分かります。まさに、一目瞭然です。

 日本の芸術は19世紀の開国と同時に世界に公開され、瞬く間に一大センセーション「ジャポニスム」の波を引き起こしました。マネ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ホイッスラー、クレー、クリムト…当時の画家で日本の影響を受けなかったものはないと言ってもよいほど、日本は世界の芸術文化に多大な影響を与えました。

 日本人の感覚ってそんなに凄いの?と私たち日本人は思います。でも私たちが思っている以上に、日本の文化芸術はすご~いんです!

 それで今日は日本人の「形」から紹介。

 日本の形で一番特徴的なのが「デフォルメ」です。実際の形を描き手の感覚により自由に歪曲させます。今だからこそ抽象芸術は当たり前ですが、19世紀以前の西洋には、見えたとおりの写真のような仕上がりこそが絵画でありました。自由な歪曲はその人の心の感動や視点、価値観をストレートに表します。浮世絵の世界にはデフォルメがたくさん見られます。
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葛飾北斎の「神奈川沖裏浪」です。襲いかかる波は実寸以上に大きく、対比する人間は小さく描かれています。波に飲み込まれるような船頭たちの恐怖感を強調するためにも、このようなデフォルメは効果的です。

 高校生に感じたままのデフォルメを生かしながら、猫じゃらしを描いてもらいました。百人百様、自由な表現は、もともと世界にあったのではなく、「ジャポニスム」の波に乗って、日本から世界へ送られたものだったのです。
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by akikomoriya | 2011-12-09 18:30

絵本の楽しみ ⑦

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至光社「こどものせかい」より「じゃむじゃむどんくまさん」 絵・柿本幸造 文・蔵冨千鶴子  

受験生の子供の勉強を見ながら(見張りながら?)ぼちぼち更新しているブログですが、自分で思っていた以上にたくさんの人が見ていてくださったと知り、恐縮しております。勝手なつぶやきをどうぞ気楽に読み流してくださいませ♪
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しばらく続けてきた「絵本シリーズ」ですが今日が最後です。また幼稚園時代に戻りますが、「こどものせかい」に度々登場した「どんくまさん」シリーズです。

おっちょこちょいなどんくまさんは、いつも失敗ばかり。ある日、おもしろがってリンゴの木を揺すって遊んでいたら、おまわりさんに叱られてしまいます。けれどそれがきっかけで、リンゴの木持ち主(ジャムやさん)のお手伝いをすることになります。おいしく煮えたりんごジャムを町まで売りに行き…ジャムは全部売れたけど…、お金をもらってくるのをすっかり忘れてしまいました。

ジャム屋のおじさんにこんどこそひどく叱られて…でも最後はまた思わぬ展開で、笑顔で締めくくられます。
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柿本さんの作品はどれも、おのずとお人柄を映し出すような温かな筆遣い。微妙に混色された中間色と、輪郭をはっきりさせない柔らかさが魅力でした。白い余白も、風の気配も何もかもが温かく優しいのです。

社会人になって高校生に美術を教えるようになり、あることに気付きました。それは、混色して色を作るのが苦手な子が多い、ということ。チューブから出した色をそのまま並べるので、味気ない作品になってしまいます。この頃は「ピンクってどうやって作るの」などといった、あまりに基本的な質問も多く、絵を描いて育ってないんだな~と思い知ります。

もうひとつ思うことは、枠からはみ出るとうろたえることです。絵というとアニメ画やゲームのキャラクターしか知らないので、塗り方はべた塗りで、枠からはみ出ると失敗なのです。堅くて柔軟性に欠いた作品が目立ちます。淡いにじみや柔らかい輪郭を知らずに育ったのだと分かります。

自然界の風景は、どれも形は曖昧で、水平線や、雲と空の境目など、一本で線を引けないものばかり。海と空が交わるあたりの表現は、海の色と空の色が微妙に混じり合って出来上がります。また雲と空の境目は、雲が限りなく薄くなって、空と同化します。そんな微妙な変化と優しい「曖昧さ」が私は好きです。木のはっぱ一枚とっても、その葉は光を反射し、風に揺れているわけですから、そのゆらぎを表現するためにも、印象派の画家たちは曖昧で柔らかな輪郭を好みました。モネやルノワールがよい例だと思います。

色々な絵本を目にしますが、柿本さんの温かさに勝る作品には、なかなか出会えません。

ところで、私が絵本に親しむことができたのは、ひとえに絵本を大切にしてくれた母のお陰です。幼稚園から持ち帰る月刊誌を丁寧に保管し、また、読み聞かせしてくれ、それ以外にもよく絵本を買ってくれました。書店に行って、「好きな本を持っておいで」、と言われたことが何度となく記憶にあります。我が家は、父も母も物作りが好きで人情家、絵本好きな子供が育つにはよい環境だったと心から感謝しています。

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by akikomoriya | 2011-12-05 00:50

蔓の楽しみ

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 秋も深まってきますと、あちらこちらにカラス瓜の赤い実が目につきます。「カラスも喰わぬカラス瓜」なのだと昔誰かに教わったのですが、紅葉の頃が過ぎた冬枯れの山野で、蔓も葉もカピカピに干からびたというのに、尚も赤く垂れ下がっている実を見るにつけ、「やっぱりカラスも喰わぬまずさなんだ~」と思ってしまいます。
 

 私は蔓ものの植物が好きです。まずは子供の頃から大好きだった「朝顔」。今でも朝顔の行燈作りを見ると胸躍る気持ちがします。最近では野生化して地を這いながら群生する、青や白など原種に近い朝顔が魅力的です。本来秋の草花であり、野生種は大変たくましく、初霜が降りるまでがんばって花を咲かせ続けます。蔓は左巻き、茎そのものが蔓なので、体全体で這い上がってゆきます。その姿は大らかで力強く、また人間業では到底及ばぬ麗しい曲線を朝ごとに描くのです。花はさらなり!まぁるい形は朝の光そのものを分散して放っているような清々しさがあります。しかも一日と言わず、朝の数時間のみ開花し、後は萎んで二度と再び顔を見せることはありません。その潔さと言ったら!朝顔はどこをとっても美しい!

 それから「カラス瓜」。これは本当にかわいい!茎から繊細な蔓が伸びて、近くに絡みつくものがないと自分自身に絡みついて、くしゃくしゃにもじかって玉になっている部分が時々あります。巻き方もまちまちで、右に左にチリチリ巻いています。

 植物の蔓を観察し、日ごと成長を楽しみながら夢中になってその曲線の美しさを写し続けた学生時代。あの日の延長線上に今の自分がいて、やっぱり蔓を描き続けています。

by akikomoriya | 2011-10-13 20:25