カテゴリ:ジャポニスムふたたび( 35 )

ジャポニスムふたたび42話

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ジャポニスムふたたび 42話



「あはれ」 感じる人間の豊かさ   日本画家 森谷明子



夕焼けの美しい季節になった。清少納言も「秋は夕暮れ」と言っているが、この季節、大空のスクリーンには、緋色、桃色、緑、藍、紫、金、灰色…と、虹の七色以上の微妙で微細な色彩が大胆に溶け合う。

誰もが思わず立ち止まり見とれてしまう美しい夕景だが、その美しさを感じ取ることができるのは、実はこの地球上で人間しかいない。足元の小さな花から海や空まで、この地球という壮大なシアターの観覧チケットを手にしているのは、有難くも人間だけである。

以前、動物園の飼育員をされていた方から、ゴリラだけは夕日に向かって立ち止まる習慣があるという話を聞いたが、美しいものに対してどれだけ深く反応できるかは、サルとヒトの進化の分岐に大きく関わっているように思う。言語能力、道具を作る能力、といった「能力」以前に、美しいもの素晴らしいものに対するより高次元な感受性の有無が、人類の進化を促してきた要因であると思う。

「深く感じ入る」ことを日本の古典では「あはれ」という。これは最も英訳しにくい日本語のひとつでもある。「ああ!あれ!」という感嘆詞を語源とする「あはれ」とは、ただ単に物哀しさや風情を感じるものではない。日本人が「あはれ」の感覚を重んじるのは、「美意識」という人間だけに与えられた特権に敬意を払うとともに、それをより深く、より繊細に充実させることが、人間をより人間らしくさせることにつながると知っていたからだろう。

逆に言えば、深い感受性に支えられないモノづくりや街づくり、あるいは社会システムは、稚拙でもろく崩れやすい。

俳句を作り、歌を詠み、取り巻く世界のミクロからマクロまでを注意深く観察し感じ入る習慣が、人間社会の充実にいかに重要なことかを夕日を眺めつつ思うのである。



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by akikomoriya | 2018-11-19 21:29 | ジャポニスムふたたび

ジャポニスムふたたび 40話

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ジャポニスムふたたび

 

風物の美感じ 「我」捨てる

日本画家 森谷明子

 日本の古典には、春秋どちらを好むかという何とも優美な論争がある。春といえば花、朧月夜、茂れる若葉。そして秋は名月、紅葉、風など。いずれもそれぞれの趣があり、甲乙つけがたい春秋論争である。

 こうした論争で最も古いのが、額田王に春山と秋山を比べさせた万葉集の「春秋の競ひ」である。

「寒さも和らぎ春が来れば、鳥も鳴き始め、花も咲き始めるが、葉が茂ると草深く、近くまで行って花を手に取ることは難しい。一方で秋は色づいた葉をこの手に取ることができる。」というもので、額田王は、はじめ春山を讃えつつも最後に秋山をとる。

 ただ、我々現代人にしてみれば、こうした春秋論争など、随分と暇なことだとつい思ってしまうものだが、森羅万象へのこだわりある観察は、実はよりよく生きるために非常に有効な習慣であった。

放っておけば、際限なく己の欲望達成のみに邁進し、果ては地位と名誉、物質的な贅沢に溺れてしまうのが人間である。この世の混乱の根源ともいえるその自我を滅却するとなれば、時として宗教の門を叩き、難行苦行を重ねることもあるだろう。

花が咲けば花見をし、秋は紅葉狩り、夏は清流を求め、冬は星を仰ぐ。我を忘れ時を忘れ、取り巻く風物の美しさを心から堪能するその繰り返しは、実は知らず知らずのうちに、我を我をと思うその我を忘れさせ、自我に溺れる淵からの救いとなる。

我を捨てれば捨てるほど、風物の美しさは心に深く感じ入り、その喜びを確かめるために、多くの歌人は歌を詠んできた。

春がよいの秋がよいのと論じつつ、霊妙不可思議な森羅万象の変化に対し、絶え間なく耳を澄まし、息を凝らし、目を凝らす習慣。それこそが、「我」を捨て去るための厳しい修行にとってかわる、有難くも美しい、日本流易行道なのである。



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by akikomoriya | 2018-09-17 19:05 | ジャポニスムふたたび

ジャポニスムふたたび39話

20日静岡新聞朝刊です。
ジャポニスムふたたび 39

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芭蕉が説いた「誠の表現」



森谷明子


「松のことは松に習え 竹のことは竹に習え」

作句の心構えとして知られる松尾芭蕉の言葉である。様々な解釈があるものの、俳句を作るには技巧云々ではなく、松と自分が一体化すれば、松の句がおのずと湧き上がり、竹と自分が一体化したところから、竹の句ができあがる、といった意味であると私は理解している。対象(自然)との一体化。それは俳句のみならず、日本的な表現全般において共通する指標であろう。

ただその「自然との一体化」とは、口で言うはたやすいが、いかにして一体化すべきか?そもそも人間と自然が一体化できるか?芭蕉によれば、自然と自分が二つに分かれている状態は「誠」ではないという。それは「私意のなす作為」であると。これはなかなか手厳しい。

ところで西洋の美とは長い間、目に見えた世界を忠実に再現することであった。科学的で合理的な技術に支えられて、見えたものを、見えたとおりに再現する。また中国の美とは長い間、精神修養を収めた高僧が、絵や書にその精神性を託すことに価値があった。精神という目には見えない世界がそこには込められた。

だが、日本の場合、技術や精神修養よりも大切なことがある。それはただ「一身に心に感じ入る」ことである。しかしながらこれが意外に難しい。

我を忘れ、時を忘れ、自分というものが全く無くなってしまうほど対象に魅せられる、その一体感が、人に和歌や俳句を詠ませ、物を作らせる。

確かに技術さえあれば、深い感動はなくとも見栄えのよい絵は描ける。しかしそれは芭蕉にいわせれば、「私意のなす作為」となる。「誠にあらず!」と芭蕉に一喝されることになるのだ。

日本文化とは奥が深い。美しいものを前にして我を忘れて見入る、その淀みなく曇りない「人の心」の素直さが、日本文化の「誠」であると私は思う。



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by akikomoriya | 2018-08-21 19:11 | ジャポニスムふたたび

「ジャポニスムふたたび」

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6月18日朝刊です
『ジャポニスムふたたび』

映す 透かす ゆらぎの美学        森谷明子


 日本の表現には「映す」や「透かす」という美がある。日本人はあからさまな表現よりも、影や気配を好む傾向があるが、「映す」や「透かす」には、直接対象を見るのではない、いわば「ひと手間掛けた」風情がある。
 たとえば平等院鳳凰堂や金閣寺、厳島神社などは、実際の建造物と水面の影の美を同時に楽しむ美といえるだろう。県内では昨年末にオープンした富士宮市の「富士山世界遺産センター」が、この「映す」の美をふんだんに応用した造りになっていて、入り口前のアプローチに巨大な水鏡があり、晴れた日には北斎の『富嶽三十六景 甲州三坂水面』さながらに、逆さ富士が見事に映し出される。
 「透かす」に関しては、薄衣の下から別の生地が透けて見える風情を楽しむ「紗」の着物や、紅葉の枝越しに向こう側の風景が見える庭の配置や、御簾やすだれ越しに戸外を眺める面白みなど、手前と奥がオーバーラップする一種異空間的な「透かす」の技は、日本人の得意芸である。
 前置きが長くなったが、この「映す」「透かす」の日本的風情を最も深く理解し作品に応用した画家はモネではなかったかと思う。モネの睡蓮には様々あるが、あたかも水鏡を覗き込むようにした視点で描かれた作品がある。水面には睡蓮が浮いているだけではなく、周辺の木々や空、雲など、水鏡に写し込まれた周りの風景が間接的に描かれており、手前と奥が重複し独特な世界観となっている。そこはかとなく揺れる水鏡の風情はまさに、日本の「映す」「透かす」の美を学んだ痕跡ではないだろうか。
 モネの睡蓮の魅力は主役の睡蓮だけではなく、睡蓮を囲むようにして揺らぐ、水鏡に映り込んだ実体のない影にあると思う。見えるか見えないかのギリギリの揺らぎ。「映す」「透かす」の美である。


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by akikomoriya | 2018-06-18 21:38 | ジャポニスムふたたび

ジャポニスムふたたび 36話

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静岡新聞 月曜日朝刊「ジャポニスムふたたび」36話です

「職人が込めた形霊という命」

「言霊」と並び、「形霊」なるものが、古代の日本にはあったという。
いにしえの歌人たちは、言葉に命を吹き込み、霊威を発動させてよりよい現実を引き寄せていたのだが、同様に、モノをつくる人々は、形に命を吹き込み、その作品を通してよりよい現実を引き寄せるというわけである。
 形霊のもっともよい例は仏像であると思う。仏師が仏を彫る姿を、「一刀三礼」とたとえたが、木の中から仏様をお迎えするという一念で、拝みながら彫るのだそうだ。そのようにして精魂込めて彫られた仏像が、仏をお迎えするに相応しい器だとすれば、開眼供養によってその器に相応しい仏の命が、そこに宿るのではないかと思う。仏師と僧侶の双方のまったき想いが、仏像という形に命を吹き込み、仏像は単なる木のオブジェではなく、拝まれる対象となる。そして仏としての役割がそこから発動されるのであろう。
 「職人気質」という言葉が示すように、日本では職人の仕事が尊敬をもって語られる。モノづくりに関わる人々に対する尊敬は、日本文化の特質のひとつともいえる。それは仏像に限らず、日本の職人というものが、あらゆる形あるものに命を吹き込ませるべく、技と心意気を習得しているからであろう。茶碗ひとつ、箸ひとつに職人の技と魂が込められ、そこから形霊が発動している。
 割れた茶碗は金継されてあらたな命を与えられ、朽ちかけた仏像もまた修復され、あらたに命を吹き返す。それは「形霊」に対する畏敬の念を継承し続けたいという、日本独自の思想であると思う。
 思えば明治の近代化を迎える以前の日本とは、日常を取り巻くモノすべてが職人の手作りであり、なんらかの魂が込められたものであった。「形霊」という面からすれば、それはなんとも濃厚な日常であった。



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by akikomoriya | 2018-05-24 20:46 | ジャポニスムふたたび

ユネスコ70周年記念講座「ジャポニスムふたたび」



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土曜日、18日は
ユネスコ70周年記念講座「ジャポニスムふたたび」に
本当にたくさんの方がご参加くださいまして
心より 心よりお礼申し上げます。

...

5年ほど前に
はじめて静岡ユネスコの講座でお話させていただき
その続きの小話を静岡新聞で連載するようになって四年が経ち
昨年からは
「日本の和の力」に特化した内容に限定しまして
浜岡での講演会、富山先生の源氏物語講座200回記念につづき
3回目となる「ジャポニスムふたたび」のお話会でした。

遠方からもたくさんお見えになり
席を詰めて頂きながらの会となりましたが
最後までほとんどの方がメモを取りながら熱心に聞いてくださいました。

日本列島の上で起きてきた数々の奇跡
縄文由来の尊い「和術」
今、私たちにもできる
ひとりひとりから世界に貢献できる
「和」の力。

そんなことをお話させていただきました。

時間と体力のある限り
どこへでもお話に参ります♬

「人の心の中に平和の砦を作らなければならない」
というユネスコ憲章の具体的な成就に向けて
直接的に働きかけることができる
日本の和の力、和の文化について
これからもお伝えし続けたいと思います♬

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by akikomoriya | 2018-04-30 11:57 | ジャポニスムふたたび

ジャポニスムふたたび

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月曜日 静岡新聞朝刊 P5です♬
『ジャポニスムふたたび』

   
万葉集に見る自由と平等      日本画家 森谷明子...
 
「自由と平等」という言葉を聞くと、それは民主主義の代名詞のように思われるが、なになに千数百年もの昔に、我が国にはその概念がすでにあった。
 『万葉集』の価値とは、4516首という圧倒的な量もさることながら、特筆すべき点は、為政者や王と並んで、いわば彼らに隷従する防人や遊女、地方の農民の歌が、同じ歌集の中に等しく編まれている点である。
歌の内容も様々で、国家の神事に関わる歌もあれば、忍ぶ恋、嫉妬心、方言そのままの素朴な「東歌」など、それぞれの想い方や感じ方の自由をどこまでも尊重する編者の意図の温かみが、万葉集の最大の魅力といえるだろう。
また作者の氏名を律義に明記している点も称賛に値する。作者が不明なものも「詠み人知らず」とし、決して軽んじることは無い。
 近年「著作権」という権利のもとに、表現者の権利が保護されるようになり、作品にはプロアマに限らず氏名を表示される権利が与えられるようになった。したがって、絵画の世界でも、幼稚園児の可愛らしいお絵かきから、高名な画伯の作品まで、その表現は等しく尊重され、氏名を表示される。
 しかしながら、こうした法の制定を待たずとも、万葉集の時代、すでに一個人の表現と権利を丁重に扱う気風があった。世界広しと言えど、こうした自由と平等の概念を現存最古の歌集の上で示したとは、驚くべき事実である。
身分の上下や社会制度というものは、所詮人間が便宜上作り出したものであるが、個々人の想像力の源は、神聖なる閃きによるものである。日本人はそうした個々の表現をどこまでも尊ぶ民族であったと、それを誇りに思うと同時に、封建社会の真っただ中でこれを実行した編者、大伴家持らの恐れを知らぬ行動力に、ただただ感服するのである。



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by akikomoriya | 2018-04-16 20:52 | ジャポニスムふたたび

静岡ユネスコ70周年記念講座

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「静岡気分 4月号」の13ページでもご案内しておりますが・・・

【静岡ユネスコ70周年記念講座】
『ジャポニスムふたたび~日本文化の可能性と和の志』

4月28日(土)午後2時~4時...
『常磐町アイワビル4階』
静岡市葵区常磐町1-8-6(青葉通り沿いです)


静岡新聞に連載中の「ジャポニスムふたたび」から
・戦いの歴史を持たない縄文の知恵
・聖徳太子の積極的で強気な平和宣言
・今、日本人として一人一人にできること「言霊」の活用
の三本立てです。
皆様お誘いあわせの上
ぜひお越しくださいませ!
【入場無料】


★昨年秋の浜岡カントリーでの講演会の内容をベースに
ユネスコ憲章の具現化に
直接的に貢献できる
日本文化についてまとめてみました。
浜岡でのお話、よかったな~
と思われる方
ぜひお友達を連れていらしてくださいませ!
浜岡まで行けなかったわ~という方も
今回はお食事付きではありませんが・・・
ぜひいらしてください!


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by akikomoriya | 2018-04-02 21:09 | ジャポニスムふたたび

明き清き直き 日本人の品格

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日本人は「品」という言葉に弱い。

たとえ富や名誉があろうとも、「あの人は品がない」と言われると、そのすべてが無に帰してしまうほどの価値が「品」という一語に秘められている。日本語を翻訳するにあたって、おそらく最も訳しにくいと思われる、その「品」とは果たして何であろう。

飛鳥天平の頃より、天皇から民へ命じられる文書を「宣命」といった。その中に繰り返し登場し、国民に求められてきた要素は、意外にも「富めよ増やせよ」といった物質的な問題ではなく、心の在り方としての「明き清き直き心」であった。

「古事記」において「清く明き心」は素戔嗚尊が高天原に入る為に厳しく問われた条件である。また「続日本紀」では、「明き清き直き」は、「下心もってへつらったり、欺いたりすることなく

等と具体的に示され、こうした誠実な生き方を、古代の人々がこのうえなく重んじていたことがわかる。おそらくは、これが日本人として求められる価値基準の最高位であり、後の「品」の基準に繋がったのではないかというのが持論である。

さて、この「明き清き直き」を具体的な事象に置き換えてみると、「明」は日月の光の様に陰りないもの、「清」は水の流れの様によどみなく、「直」は植物の様に素直なもの、である。「明き清き直き」が何であったか迷うとき、自然の中に身を置くことで、それを思い出すことができるというのが日本人のやり方である。

「品」とは単なる立ち居振る舞いや形や容姿をもって語るものではなく、内側からにじみ出るものを示している。その定義は依然として曖昧である。が、その人の前に立った時に、あたかも竹林をざわめかす一陣の風がよぎるような、また眩い一筋の光が差し込むような心持がするならば、それが日本人の品格、ということなのだろうと思う。




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by akikomoriya | 2018-03-19 15:06 | ジャポニスムふたたび

日本の僧侶に憧れたゴッホ

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12日月曜日 静岡新聞朝刊
ジャポニスムふたたび

日本の僧侶に憧れたゴッホ             森谷明子



 幾つかあるゴッホの自画像の中でとりわけ奇妙なものといえば、頭髪を剃った釣り目のゴッホ、タイトルは「ボンズ(坊主)」。ゴッホは熱烈な日本文化の愛好家であり、いつの日か日本に渡り、日本の「お坊さん」になりたいとさえ言っていた。
 当時出回っていた浮世絵や日本に関する出版物等を通して、ゴッホは自分なりの「日本」に対する洞察を深めていたのだが、彼は日本人を「紛れもなく賢者であり哲学者で知者である人物」「自身が花であるかのように自然の中に生きる」と讃えている。その理想の典型として「ボンズ(坊主)」をイメージしていたのであろう。
 このイメージを「妄想」と一笑することは容易いが、たとえば、桜を追い求めた西行などは、賢者であり哲学者であり、花のように生きた人だと言えよう。それはまた良寛しかり、兼好もまたしかり、である。
 さらにゴッホは、日本の芸術家たちがお互いに作品を交換したり助け合っている、とも言っている。残念ながら絵画の世界でそのような習慣があったとは確認できないのだが、少なくとも和歌俳諧の世界では、「歌会」や「連歌」など、まさに互いの作品を鑑賞しあい、磨き合う文化が存在していた。果たしてゴッホがこういう和歌俳諧の世界を知っていたかは今となっては知る由もないのだが。
 つまるところゴッホが憧れた日本像とは「人と自然、人と人」が共に理解しあい尊重しあって生きる世界であろう。イメージの中で膨らみすぎた日本への憧憬は、ゴーギャンとの友情に過度な期待を抱かせ、二人の共同生活の破綻の一因ともなっていくのであるが、ゴッホが夢見た「自然とともに、人々とともに」生きる「ボンズ」な世界は、決してありもしない妄想ではなく、かつての日本に確かに存在していた世界であると私は思っている。

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by akikomoriya | 2018-02-13 22:02 | ジャポニスムふたたび