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お花の話 ②

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 SBS学苑の日本画講座のお生徒さんは、皆さん多趣味な方ばかりで、日頃から私の方が教えていただくことが多いように思います。先日は山野草を育てておられる方に「竜胆」を頂きました。


 実は子供の頃から大~好きで、何度も買っているのですが、なかなか毎年咲かせ続けるのは難しく、山野草を育てるのには、細やかな心遣いがないとだめだな~とその都度反省…。でも竜胆の藍色と袋のような花の形が何とも気に入っています。


 袋の形をした花でホタルブクロも大好きですが、これもまた別のお生徒さんから頂いたものが、庭先で毎年花を付けてくれます。ホタルブクロは比較的丈夫で、家の周りにも時々自生しているのを見かけます。白もピンクも可愛いです。中にホタルを入れて遊ぶ話が、松谷みよ子さんの「おときと狐と栗の花」という物語に出てくるのですが、いつかそんな風流な遊びをしてみたいものです。
 袋物では他に、桔梗の蕾とか、風船蔓の実とか、袋が開いたときは中から小人でも出てくるような気がして、本当に好きです。朝顔も花の奥の方に何かいるような気がして、これまたまじまじと見つめてしまいます。この美しさ不思議さは、やはり絵ではなかなか描き表せないのですが…いつの日か満足のいく作品を描きたいと思っています。


 ところで、金子みすずの詩はステキなものばかりですが、中でもお気に入りはこれです。



   夕顔

 せみもなかない
 くれがたに
 ひとつ、ひとつ、
 ただひとつ、

 キリリ、キリリと
 ねじをとく、

 みどりのつぼみ 
 ただひとつ。

 おお、神さまはいま
 このなかに。


 
 「自身が花であるかのように自然の中に生きる」というゴッホの言葉が好きですが、金子みすずもまた、そのような人であったと思います。
 この詩がもう何とも好きで、日々の生活の中でも、度々思い返しています。そして、この竜胆を頂いたときもまた思い出していました。





 

 
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by akikomoriya | 2011-10-29 21:12 | おしゃべり

蔓の楽しみ

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 秋も深まってきますと、あちらこちらにカラス瓜の赤い実が目につきます。「カラスも喰わぬカラス瓜」なのだと昔誰かに教わったのですが、紅葉の頃が過ぎた冬枯れの山野で、蔓も葉もカピカピに干からびたというのに、尚も赤く垂れ下がっている実を見るにつけ、「やっぱりカラスも喰わぬまずさなんだ~」と思ってしまいます。
 

 私は蔓ものの植物が好きです。まずは子供の頃から大好きだった「朝顔」。今でも朝顔の行燈作りを見ると胸躍る気持ちがします。最近では野生化して地を這いながら群生する、青や白など原種に近い朝顔が魅力的です。本来秋の草花であり、野生種は大変たくましく、初霜が降りるまでがんばって花を咲かせ続けます。蔓は左巻き、茎そのものが蔓なので、体全体で這い上がってゆきます。その姿は大らかで力強く、また人間業では到底及ばぬ麗しい曲線を朝ごとに描くのです。花はさらなり!まぁるい形は朝の光そのものを分散して放っているような清々しさがあります。しかも一日と言わず、朝の数時間のみ開花し、後は萎んで二度と再び顔を見せることはありません。その潔さと言ったら!朝顔はどこをとっても美しい!

 それから「カラス瓜」。これは本当にかわいい!茎から繊細な蔓が伸びて、近くに絡みつくものがないと自分自身に絡みついて、くしゃくしゃにもじかって玉になっている部分が時々あります。巻き方もまちまちで、右に左にチリチリ巻いています。

 植物の蔓を観察し、日ごと成長を楽しみながら夢中になってその曲線の美しさを写し続けた学生時代。あの日の延長線上に今の自分がいて、やっぱり蔓を描き続けています。

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by akikomoriya | 2011-10-13 20:25

木枯しの森

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 今日は老人ホーム「羽鳥の森」の竣工式でした。曹洞宗の名刹「洞慶院」のすぐふもと、緑に囲まれた静かな環境と最新の設備が整った素晴らしいホームでした。書家の小林椿園先生との初コラボである「木枯の森」の作品を列席された皆さまにお披露目できて、本当に幸せなひとときでした。

 木枯しの森の魅力にとりつかれて30年以上たちますが、静岡県の指定名勝であるにもかかわらず、羽鳥以外の静岡市民の方にはあまり知られていないのが残念です。今回老人ホーム「羽鳥の森」に和歌とともに絵を納める機会に恵まれ、心から嬉しく思います。


 平安の昔より多くの和歌に詠まれてきたこの森ですが、地元の人に最も知られているのは花ノ井有年の「ふきはらう 梢の音はしずかにて 名にのみ高き 木枯しの森」でしょう。森の中に鎮座する八幡神社の手前にその石碑があります。また江戸時代の国学者本居宣長による木枯しの森についての銘文も石碑に刻まれており、羽鳥の人々がこの森をいかに大切に思ってきたかを偲ばせます。


 「木枯の森」という名前は、もともと帰化人の「秦氏」がその本拠地としてかまえていた、現在の京都太秦の一帯を指します。太秦には現在でも秦氏の氏寺である「広隆寺」があり、弥勒菩薩半跏思惟像は国宝第一号となっています。また広隆寺に隣接して「蚕の社」という神社があり、これまた謎めいた三柱鳥居や元糺の池など、歴史ミステリーマニアにはたまらないスポットとなっております。


 秦の始皇帝の末裔を名乗る「秦氏」は、養蚕、機織りはもちろんのこと、土木建築、治水、交易等々における、優秀な技能集団として大和朝廷に迎えられました。おそらくは当時としてはかなりのVIP待遇であったことでしょう。桓武天皇による平安京遷都の背景には秦氏の財力があったといいますから、莫大な富と力を持っていた一族であったことが容易に想像できます。


 やがて秦氏は全国に散り、各地に機織り等の技術を伝え、静岡県内にも浜松、大井川、藁科川、富士川と秦氏の郷があります。ここ羽鳥は古くは「服織」と書いて「はとり」と読ませ、蚕を育て、絹を織り、この地に住み着いた秦の一族は、藁科川の中州の森に蚕の守護神である「馬頭観音」を祀り、その森を故地と重ねて「木枯しの森」と呼んでいたわけです。南に向かえば蔦の細道や小坂を越えて現在の東海道に、北に向かえば信濃伊那谷へと抜ける道でもあり、羽鳥の藁科街道は古代より随分と栄えたことでしょう。


 また木枯しの森は、神社の立地条件としても最も理想的であり、おそらくは、伊勢神宮などと同じく、神に仕えるもののみが、川を渡って森にはいることを許されていたのでしょう。木枯しの森古記には「朱鳥元年に皇族方がこの森に入られ…」という記述がに残されています。朱鳥元年とは持統天皇が、夫である天武天皇のご病気平癒のために年号を改めた年です。その持統天皇とは大変謎多き女帝で、式年遷宮をはじめとする伊勢の祭祀を現在のような形に整えたのもこの天皇のご成業であり、在位中31回もの吉野御幸といい、死の前年には現在の浜松まで来ておられ…もちろんそれらの理由は不明です。天皇家にとって、ここ駿河・遠江という地は、単なる東国のへき地ではなく、何らかの事情を持った土地、あるいは何かを封印されている土地のように私は思うのですが…
 

 今は県の指定名勝としてその名をとどめるのみの木枯しの森ですが、かつてはこの地域一帯を浄める神域であり、現代人が知るよしもない、秘め事を保持した森であったように思えてなりません。


 牧ヶ谷橋から眺める木枯しの森と藁科川の清流は、見れども見れども飽きることを知らず、何度訪れてもまた会いに行きたくなる懐かしい風景です。


 人知れず 思い駿河の国にこそ 身を木枯の森はありけれ    



しみじみ郷愁を誘う木枯しの森です。
 

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by akikomoriya | 2011-10-09 19:57 | おしゃべり