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ジャポニスムふたたび

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9月5日 静岡新聞朝刊です

ジャポニスムふたたび

  「一茎の草を尊ぶ日本人の歌心」  日本画家  森谷明子...
   
ジャポニスムの画家ゴッホは、日本をこよなく愛する人であった。彼の日本への賛辞には様々あるが、その中で「賢者であり哲学者であり知者である日本人」とは、「月との距離でもビスマルクでもなく、ただ一茎の草を研究している人物である」とする興味深いくだりがある。
残念ながらそのせっかくの賛辞を「単なるゴッホの妄想」とする解釈もあり、その妄想が破綻し自殺へと追い込まれたというのは、「狂気の人ゴッホ」のありがちなシナリオである。
確かにこの忙しない現代の日本を見渡せば、そんな風流な生き方をしている人は稀だろう。しかし、実際ひと頃前の日本には、一茎の草、一輪の花、一匹の虫と向き合う日本人は大勢いたのである。
「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いずれか歌を詠まざりける」は古今集の冒頭であるが、自然の風物との対話は、和歌の喜びそのものであった。松尾芭蕉は作句の心得として「松のことは松に習へ 竹のことは竹に習へ」と言ったが、和歌俳諧の心は、技巧や方法論ではなく、まずは自然と向き合い一茎の草なり花なりとの会話から始まる。
そうして蛙が池に飛び込めば一句詠み、桜が咲けば一首詠む。絵師ならば一茎の草のために広々と余白を取り、茶室ではまず生けられた花と向き合う。客人をもてなす器も、春に紅葉、秋に鶯ではならないのである。
一茎の草を尊ぶ日本人の歌心とは、日本の文化芸術から日々の暮らしの細々まで、様々な場面に散りばめられていた。そういった日本人の気質への鋭い指摘は、ゴッホが狂気の人ではなく、優れた日本文化の研究者であったことを物語る。
野の草が風と戯れるこの季節、気負うことなく一首あるいは一句詠める、そんな日本人でありたいと、私自身思う。 


by akikomoriya | 2016-09-06 08:11 | ジャポニスムふたたび

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髪ボッサボサで・・・私、もう少し綺麗にしなくちゃね・・・


by akikomoriya | 2016-09-02 11:14 | 絵本