<   2018年 05月 ( 1 )   > この月の画像一覧

ジャポニスムふたたび 36話

e0240147_20460203.jpg


静岡新聞 月曜日朝刊「ジャポニスムふたたび」36話です

「職人が込めた形霊という命」

「言霊」と並び、「形霊」なるものが、古代の日本にはあったという。
いにしえの歌人たちは、言葉に命を吹き込み、霊威を発動させてよりよい現実を引き寄せていたのだが、同様に、モノをつくる人々は、形に命を吹き込み、その作品を通してよりよい現実を引き寄せるというわけである。
 形霊のもっともよい例は仏像であると思う。仏師が仏を彫る姿を、「一刀三礼」とたとえたが、木の中から仏様をお迎えするという一念で、拝みながら彫るのだそうだ。そのようにして精魂込めて彫られた仏像が、仏をお迎えするに相応しい器だとすれば、開眼供養によってその器に相応しい仏の命が、そこに宿るのではないかと思う。仏師と僧侶の双方のまったき想いが、仏像という形に命を吹き込み、仏像は単なる木のオブジェではなく、拝まれる対象となる。そして仏としての役割がそこから発動されるのであろう。
 「職人気質」という言葉が示すように、日本では職人の仕事が尊敬をもって語られる。モノづくりに関わる人々に対する尊敬は、日本文化の特質のひとつともいえる。それは仏像に限らず、日本の職人というものが、あらゆる形あるものに命を吹き込ませるべく、技と心意気を習得しているからであろう。茶碗ひとつ、箸ひとつに職人の技と魂が込められ、そこから形霊が発動している。
 割れた茶碗は金継されてあらたな命を与えられ、朽ちかけた仏像もまた修復され、あらたに命を吹き返す。それは「形霊」に対する畏敬の念を継承し続けたいという、日本独自の思想であると思う。
 思えば明治の近代化を迎える以前の日本とは、日常を取り巻くモノすべてが職人の手作りであり、なんらかの魂が込められたものであった。「形霊」という面からすれば、それはなんとも濃厚な日常であった。



[PR]
by akikomoriya | 2018-05-24 20:46 | ジャポニスムふたたび