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ジャポニスム、ふたたび。 ③

 日本の芸術に対して西洋人が驚いたのは「デフォルメ」だけではありませんでした。それはなんといっても色彩の豊かさ明るさ鮮やかさ!
 15世紀のルネッサンス期に完成した描法はその後500年間守られ続け、写真のようにリアルで立体的な作風が絵画の第一条件でした。大切なことは「光と影」による立体感。色彩はさほど重視されていませんでした。ダ・ヴィンチの作品を見れば一目瞭然です。
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 それが…日本の浮世絵や屏風ときたら…
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明るいですね~しかも鮮やか!立体感は付けないから「影がない」ということも明るさの理由の一つではありますが、それにつけても日本人は色彩そのものを楽しむ民族なのですね。古来より四季折々に「着物のあわせ」などにもこだわってきたように、日本人は「色あわせ」が大好きなのです。

 日本人の色彩感覚の豊かさは奈良時代より定評があり、江戸期においては「四十八茶百鼠」という言葉にもたとえられるように、江戸の染色職人は48種類の茶色と100種のグレートーンを染め分けたと言うほど、色彩感覚が繊細かつ豊かでありました。

 さて、ジャポニスムの洗礼を受けた19世紀の絵画は、こ~んな風に変化します~♪
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 モネの「積み藁」です。明るく、鮮やかになりました!

 おまけにゴッホの「ひまわり」
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 明るいですね~輝いてますね~ゴッホは本当に日本人になりたかったのですね♪

# by akikomoriya | 2011-12-20 23:40 | おしゃべり

ジャポニスム、ふたたび。 ①

 3月の震災以降、日本人の心のあり方を問う場面が増えたように思います。

 日本人の忍耐強さ、勤勉さは世界でも定評があります。ありがたいことです。それ以外にも日本人の素晴らしい資質はたくさんあります。
 絵画や芸術というものは、それを作成した人の、人柄や考え方世界観などを如実に物語ります。同様に、その国の芸術文化を紐解くと、その国の歴史や民族性が本当によく分かります。まさに、一目瞭然です。

 日本の芸術は19世紀の開国と同時に世界に公開され、瞬く間に一大センセーション「ジャポニスム」の波を引き起こしました。マネ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ホイッスラー、クレー、クリムト…当時の画家で日本の影響を受けなかったものはないと言ってもよいほど、日本は世界の芸術文化に多大な影響を与えました。

 日本人の感覚ってそんなに凄いの?と私たち日本人は思います。でも私たちが思っている以上に、日本の文化芸術はすご~いんです!

 それで今日は日本人の「形」から紹介。

 日本の形で一番特徴的なのが「デフォルメ」です。実際の形を描き手の感覚により自由に歪曲させます。今だからこそ抽象芸術は当たり前ですが、19世紀以前の西洋には、見えたとおりの写真のような仕上がりこそが絵画でありました。自由な歪曲はその人の心の感動や視点、価値観をストレートに表します。浮世絵の世界にはデフォルメがたくさん見られます。
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葛飾北斎の「神奈川沖裏浪」です。襲いかかる波は実寸以上に大きく、対比する人間は小さく描かれています。波に飲み込まれるような船頭たちの恐怖感を強調するためにも、このようなデフォルメは効果的です。

 高校生に感じたままのデフォルメを生かしながら、猫じゃらしを描いてもらいました。百人百様、自由な表現は、もともと世界にあったのではなく、「ジャポニスム」の波に乗って、日本から世界へ送られたものだったのです。
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# by akikomoriya | 2011-12-09 18:30

絵本の楽しみ ⑦

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至光社「こどものせかい」より「じゃむじゃむどんくまさん」 絵・柿本幸造 文・蔵冨千鶴子  

受験生の子供の勉強を見ながら(見張りながら?)ぼちぼち更新しているブログですが、自分で思っていた以上にたくさんの人が見ていてくださったと知り、恐縮しております。勝手なつぶやきをどうぞ気楽に読み流してくださいませ♪
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しばらく続けてきた「絵本シリーズ」ですが今日が最後です。また幼稚園時代に戻りますが、「こどものせかい」に度々登場した「どんくまさん」シリーズです。

おっちょこちょいなどんくまさんは、いつも失敗ばかり。ある日、おもしろがってリンゴの木を揺すって遊んでいたら、おまわりさんに叱られてしまいます。けれどそれがきっかけで、リンゴの木持ち主(ジャムやさん)のお手伝いをすることになります。おいしく煮えたりんごジャムを町まで売りに行き…ジャムは全部売れたけど…、お金をもらってくるのをすっかり忘れてしまいました。

ジャム屋のおじさんにこんどこそひどく叱られて…でも最後はまた思わぬ展開で、笑顔で締めくくられます。
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柿本さんの作品はどれも、おのずとお人柄を映し出すような温かな筆遣い。微妙に混色された中間色と、輪郭をはっきりさせない柔らかさが魅力でした。白い余白も、風の気配も何もかもが温かく優しいのです。

社会人になって高校生に美術を教えるようになり、あることに気付きました。それは、混色して色を作るのが苦手な子が多い、ということ。チューブから出した色をそのまま並べるので、味気ない作品になってしまいます。この頃は「ピンクってどうやって作るの」などといった、あまりに基本的な質問も多く、絵を描いて育ってないんだな~と思い知ります。

もうひとつ思うことは、枠からはみ出るとうろたえることです。絵というとアニメ画やゲームのキャラクターしか知らないので、塗り方はべた塗りで、枠からはみ出ると失敗なのです。堅くて柔軟性に欠いた作品が目立ちます。淡いにじみや柔らかい輪郭を知らずに育ったのだと分かります。

自然界の風景は、どれも形は曖昧で、水平線や、雲と空の境目など、一本で線を引けないものばかり。海と空が交わるあたりの表現は、海の色と空の色が微妙に混じり合って出来上がります。また雲と空の境目は、雲が限りなく薄くなって、空と同化します。そんな微妙な変化と優しい「曖昧さ」が私は好きです。木のはっぱ一枚とっても、その葉は光を反射し、風に揺れているわけですから、そのゆらぎを表現するためにも、印象派の画家たちは曖昧で柔らかな輪郭を好みました。モネやルノワールがよい例だと思います。

色々な絵本を目にしますが、柿本さんの温かさに勝る作品には、なかなか出会えません。

ところで、私が絵本に親しむことができたのは、ひとえに絵本を大切にしてくれた母のお陰です。幼稚園から持ち帰る月刊誌を丁寧に保管し、また、読み聞かせしてくれ、それ以外にもよく絵本を買ってくれました。書店に行って、「好きな本を持っておいで」、と言われたことが何度となく記憶にあります。我が家は、父も母も物作りが好きで人情家、絵本好きな子供が育つにはよい環境だったと心から感謝しています。

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# by akikomoriya | 2011-12-05 00:50

絵本の楽しみ ⑥

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絵本の仕事をしているとあれこれと小さかったときのことを思いだします。自分はいま42歳ですが、あの頃と感覚はほぼ変わってなくて、大切なものも、大切なこともあまり変化がないように思います。なので、自分はまだ「こども」なのだといつも思います。それで昔のことを「子供だった頃」と言わず、「昔のこと」とか「体が小さかった頃」と言うようにしています。

小学校1年生の冬に、静岡の羽鳥にいた祖母が亡くなりました。長男だった父は、祖父のお世話をするために、とりあえず家族を羽鳥に引っ越させ、本人は単身赴任で週末だけ羽鳥に通っていました。はじめての転校、週末しか会えない父のこと…母も姉もとてもナーバスになっていて、なかなか友達もできない私は、いつもぽつんと一人で遊んでいました。
 
県庁所在地であるはずの静岡市なのに、羽鳥はものすごい田舎で、それまで住んでいた磐田市よりも、び~っくりするほどのどかなところでした。古い風習も色々残っていて、「穴掘り組合」という隣組制度みたいのがあり、それはなんと、土葬の時にお互いのお墓を掘る仲間なのでした…これにはびっくり。

自宅から学校までの間は田んぼしかなくて、田んぼの脇にある用水には時々太い蛇が泳いでいました。あるとき帰宅途中にどこからともなくスースーと寝息のような音が聞こえ、ふと足元を見ると…なんとちいさな蛇がとぐろを巻いて道の真ん中でお昼寝していたのでした。危うく踏むところでした…。タニシやカエルをとったり畑の花を植えたり採ったり、私にとって羽鳥のくらしは、さみしくも楽しいものでした。
 
築200年はする古い造り酒屋の母屋には、土間や釜戸がそのまま残っていて、雨の日には一人で人形を作ったり絵を描いたりして、障子のむこうの雨の音や庭の草木の気配を感じながら、広い和室を広々と使って遊んでいました。今思い返すと確かにあそこには「座敷童」みたいなものがいたなと思います。…そしてその十数年後、そのお屋敷が壊される直前、本当に座敷童を見てしまいました。狐の姿をした座敷童でした。すすけた梁に障子の明かり、雨の音、藁科川、木枯らしの森…不思議で、懐かしい、羽鳥の思い出は私の心の真ん中にいつもずっしりと座っています。

ちょうどそのころ、「花さきやま」という絵本に出会いました。

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「かたあしだちょうのエルフ」の木版画の「黒」も素敵でしたが、切り絵の「黒」もなんともまた魅力的でした。黒い背景の中に浮かび上がる鮮やかな虹色の色彩が、なにか日常から切り取った異次元のようで、またそのころ住んでいた古民家の暗さともあいまって、その頃の私の心にフィットしまくってしまいました。はじめは姉が友人から借りた本だったのですが、その後母に買ってもらい、すごく嬉しかったのを今でも覚えています。この本はもちろん小学校二年生の私の本です。
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今でも山の中をふらつくと、思いもかけず花が群生している場面に出くわします。野生化した朝顔だったり、白いタンポポだったり、そういう風景に出会うと、自分だけのお花畑みたいで幸せな気持ちになります。誰も知らなくても、誰も見ていなくても、花さき山の花が、今さいている、そんな気持ちになります。

絵本の場面は、主人公の「あや」だけが見ている「花さき山」の風景と、現実の風景が交互に出てくるのですが、現実の場面は背景が「白」、「花さき山」の場面は背景が「黒」になっていて、読者も知らず知らすのうちに現実と花さき山を行ったり来たりできるようになっています。絵といい文といい…作者の二人は天才であると心から思います。この絵本の世界に乗せられながら、私も懐かしい羽鳥の家と現実を行ったり来たりしているのです。
# by akikomoriya | 2011-11-27 21:02 | おしゃべり

絵本の楽しみ ⑤

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ポプラ社  おのきがく作 「かたあしだちょうのエルフ」

静かで美しいものがたくさんの「聖マリア幼稚園」を卒園して、私は公立小学校に入学しました。そこは全校生徒2000人という超マンモス校で、1年生だけでも8クラスもありました。あまりに多い子供子供子供…先生もいつも忙しそうで、いちいち細かいことに構っている余裕もありません。

ある日のこと、勢いよくトイレに駆け込んでしゃがんだ瞬間、「プチ」と何かが小さく破裂するような音がしました。なんとパンツのゴムが切れてしまったのでした。小さかった私のパンツはビヨ~ンと広がり、「わ~パンツってこんなに大きかったんだ~」と驚くもつかの間、とりあえずどうしようかと思い、先生に報告しました。スカートの上からずり落ちるパンツを押さえながら、指示を待っている女の子に、先生はテキパキと「上からブルマをはきなさい!」と指導しまたさっさと次の行動に移りました。「先生は忙しくて、的確な指導をするものだ」と、これまたびっくり。

もうひとつ心に残る事件は、隣の席の男の子が、突然私の右のほっぺに「ぶちゅ!」としてきたのです。そのときはそれが愛情とか好意の印であるとは全く知らず、周りの子たちもはやし立てるので、「どうして私の顔に唾を付けるんだろう」と思い、「汚い~」とハンカチでごしごし拭いて終わりになりました。

合理的かつ個人主義的なフランス人の神父様兼園長先生は、バタバタしたことが大嫌いで、昼食も園の給食室で作らせたグルメなお給食を、ゆったりと時間をとって園児に食べさせていましたから、お昼の風景ひとつとっても、小学校と幼稚園ではたいそうなギャップでした。お食事が遅いと掃除が始まってしまうので、残りの食べ物は犬の餌のようにコップに突っ込まれ、それを続けて食べました。そんなこんなで新しい環境になんとか対応する中で、いつしか同じ幼稚園から入学した「かずえちゃん」は、だんだん小学校に来れなくなっていました。

かずえちゃんは「あっ子ちゃんと一緒なら学校にいてもいい」と言っていたらしく、かずえちゃんが登校する日は必ず担任の先生に呼ばれ、かずえちゃんとふたりっきりで図書室で本を読むのがお決まりでした。忙しい先生はかずえちゃんを私に任せてさっさといなくなりました。し~んとしただだっ広い図書室で、私たちはそれぞれ黙って本を読んで過ごしました。

そんなある日、南側の書棚に変わった本を見つけました。ダチョウの絵本でした。エルフというそのダチョウは走るのが凄く速くてみんなの人気者。しかし、みんなを守るためにライオンと闘って足を一本食いちぎられてしまうのです。その後は、生活が一転…みんなを守るどころか自分が生きているのもやっと…そんなある日またクロヒョウがエルフのなかまを襲います…。結末は何度読んでも大泣きしてしまいます。


「犠牲」という行為はカトリックの幼稚園でもおぼろげながら認識してきたつもりでした。しかし、この絵本が伝えるその行為は、何か直接的に私の心を激しく揺さぶるものがありました。「犠牲」は時として「こんなにやってあげてるのよ」という高慢や、不調和にも繋がりかねません。けれども、いざというときにためらうことなく自分の命を投げ出すことのできる生き方に、何か強い衝撃を受けました。「人のためよりまずは自分を大切に」、という考え方は比較的最近言われるようになった気がします。もちろんそれは正しいのだけれど、私心のない純粋な犠牲というものは、真実人を救い、また長く人々を助けるものだと、この本を読んで思います。


かずえちゃんはそれからしばらくして、元気に登校できるようになり、「ふたりっきりの図書室」もなくなりましたが、お陰様で私は素敵な本に巡り会いました。今でもエルフのことは日常の何気ない瞬間に「ゴムの切れたパンツ」や「かずえちゃん」のことと一緒に、たびたび思い出されるのです。
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# by akikomoriya | 2011-11-24 22:36 | おしゃべり