![]() ![]() 森谷明子 日本画展 2021年11月18日(木)~29日(月) 『亀山画廊』⒒:00~18:00 (最終日16:00まで) 静岡市鷹匠2-4-40サン・サウス静岡1F ※駐車場有 054-252-5040 土日祝日は終日おります。 #
by akikomoriya
| 2021-11-07 02:45
| 日本画
![]() 山を神とみなす文化 今も脈々と
富士宮市にある「山宮浅間神社」は、山を神とみなす縄文由来の日本の信仰を、現在に伝える貴重な神社である。 まず何より社殿が無い。鳥居をくぐったその奥には、ただ悠々とした富士の雄姿のみが目前に広がる。ここは、神なる富士を遥拝する聖域である。 また同市では、1万3千年前の縄文遺跡から、富士山を遥拝したであろう石積みが見つかっており、近くには同じく富士山を遥拝できる縄文のストーンサークルもある。縄文時代から富士山は神であった。 富士山ばかりではない。日本人は山を拝む民である。山は神である。そして、山頂に「本宮」を置き、ふもとに「遥拝所」を設ける。これが神社の起源につながる。 筑波山、大峰山、位山、出羽三山、三輪山などの霊山や神奈備山から、地域の里山まで、日本列島内には「神なる山」が無数に存在する。それら縄文由来の「山を神とみなす」文化の、国内最大の事例が、「富士山信仰」なのだ。 現在においては、山を神とみなすことで、何らかの経済効果があるわけでもない。しかし、江戸時代までの日本列島内で、際立った環境破壊が見られなかった理由は、山をはじめとする自然の中に「神」がいたからである。自然の中に神聖さを見出せるか否かで、今後の地球社会の在り様は、大きく異なってくるにちがいない。 静岡県は縄文色の大変強い地域である。特に富士山周辺には、縄文草創期、早期の遺跡も多い。縄文文化とは、決して遠い過去の遺産ではなく、現代社会の中のそこかしこに、今も脈々と受け継がれ息づている。山を神とみなす文化もそのひとつである。 静岡県から世界に向けて、霊峰富士の美しさだけではなく、その文化を通して、縄文由来の調和的で持続可能な世界観を、発信していきたいと思う。
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by akikomoriya
| 2021-10-07 22:50
![]() 自然音は「言語」 日本語の不思議 夜もすがら虫の声が響く季節になった。 最近は、わざわざ鈴虫やコオロギを購入してその声を楽しむ人もおり、リーンリーン、チロチロなどの響きは、今も昔も日本人が好む秋の風物詩である。 ただ、日本以外の国では、この涼やかな虫の声というものを、雑音として聞き流してしまうという。虫の声だけでなく、風の音、雨の音、川のせせらぎ等の「自然音」は、人間の脳の中で「音」として認識されるため、ともすればエアコンや高架の騒音と同じように、脳の中で「雑音」と処理されてしまうのだ。 しかし、その例外が日本人の脳であって、これら「自然音」を「音」ではなく「言語」として認識する、特異な性質を持っているという。 実は、「音」と認識するか「言語」と認識するかで、受け取り方に大きな違いが生じる。「音」には意志は無いが、「言語」には意志がある。言葉とは、生きている何者かの意志ある声である。 したがって、日本人は、虫が音を発している、と感じるのではなく、虫が歌を歌い、言葉を語っている、とみなすのである。 『花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いずれか歌を詠まざりける』は古今集の冒頭であるが、動植物や山川草木との対話を示唆する日本人と自然の親しい関係は、脳の研究からも読み取ることが出来るという。 ところで、なぜ日本人の脳だけが、こうした性質をもつのだろう。 長年研究に従事された角田忠信博士によれば、日本人の特異な脳の性質は、どうやら「日本語」に起因するらしい。幼少期より「日本語」を母語として育つと、人種民族に関わりなく、自然音を「言語」として認識する脳の状態になってしまうのだそうだ。 日本語の不思議さには、あらためて驚かされる。 この秋は、虫の声に耳を傾けながら、その声の語るところを、丁寧に聴き取ってみたいと思う。 #
by akikomoriya
| 2021-09-06 20:31
| ジャポニスムふたたび
降ったりやんだりのお天気が続いております。 皆さまいかがお過ごしでしょうか? 日本画教室の皆さんは、いつも本当にご熱心で 頭が下がります・・・ 私も頑張らないとです°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖° 早速ですが 揉み紙に挑戦されたNさまのお作品です。 揉み紙は、今でも包装紙や壁紙などいろんな場面で目にする 面白い和紙です。 和紙をわざわざくちゃくちゃに揉んで、それを伸ばして使います。 あらかじめ水干や白番の絵の具を塗っておき その上に別の色を塗るか、箔を貼ります。 続いて同じくNさま! 湖に写る春先の山です。 よく、この季節の緑を、「山が笑う」といいますが 明るい黄緑、常緑樹の深緑、バランスよく配置できました。 そして水に写る様子は本当に素晴らしい! ちょっとアップにします! ごめんなさい! 赤の下に青を置いておくことで より赤が映えます! 重厚な赤富士・・・ 私には描けないな~・・・ 霧立ち上る様子も臨場感あふれています。 遠くにたなびく霞みはゴールドアフレアにしました。 手前の樹木はやや青を入れることでおさまりよくしました。 大変て慣れていらっしゃるので 失敗しても、何度も手直しして、ぐんぐん突き進みます! 描きっぷりが気持ちよいT・N様です♬ 最後はいつもおしゃべりが楽しいIさまのお作品を2点です。 目がお悪いのに、いつも本当に一所懸命! 細かいところ、大変ですね。 でも長年描いてこられた筆遣いのよさで 大胆に決めてくださいました。 葉っぱも生き生きしています! 体にいいです。モチーフのどくだみは干してお茶にしてくださいね! 今回は背景の赤紫と緑がとてもよく合っています。 うっすら赤い花びらもとても丁寧に描いて下さいました。 ゆったりしたチューリップのうねり感が自然でよいですね~! 今週も皆さまにお力を頂きました! 私も頑張らないとです~! では来週も笑顔でお会いしましょう💛 #
by akikomoriya
| 2021-09-06 19:35
| SBS学苑 日本画教室
静岡は台風の影響で強い風が吹いております。皆さまいかがお過ごしでしょうか?『ジャポニスムふたたび75話』です。 『地球の回復力 限界迎えた今』 広島長崎の原爆投下から、今年で76年目となる。 あれ以来、都市や人を標的にした投下は、幸い現在に至るまで行われていない。しかし、この76年間、「実験」という形で、地下、大気圏、水中等を併せて2000回以上の原水爆が、この地球上で炸裂してきた。 特に多かったのがキューバ危機の直前で、米ソを中心に行われた核実験は、年間180回近くにのぼり、現在に続く異常気象はこの頃から始まったという説もある。 かつての日本では、山には山の神が御座し、川には川の神が御座した。同じように、地下には土地の神が、大気圏には風の神が、水中には海神が御座すはずなのだ。そうした世界観の中で長く暮らしてきた日本人からみれば、2000回の核実験は、さすがに八百万の神々に対し、傍若無人なる振る舞いと言わざるを得ない。 海に出て漁(すな)どる者は、海神に手を合わせ、山に入り木を切るものは、山の神に許しを乞う。家を建てるにも土地の神にまず許しを乞い、何をするにも神々の許しを乞う。それが古くからの日本人の日常であった。 日本文化の世界観から見れば、核実験とは、人体に被害が有る無し以前に、八百万の神の恩恵を軽んじる、なんとも禍々しい行為である。実験に関わった人々は、果たして実験の前に、風の神や土地の神に手を合わせたであろうか。 核保有の是非については、世論も大きく分かれるところであり、抑止力との意見も根強い。しかし、土地の神、海の神、風の神を著しく汚すシロモノを懐に置き、あるいは振りかざしたところで、はたして鎮護の風は吹くのだろうか? 「地球崩壊」という言葉が飛び交う昨今、地球の回復能力も限界を迎えた。「自然」という存在を、どのように捉え関わっていくべきか、日本文化の視点から考えていきたいと思う。 #
by akikomoriya
| 2021-08-09 14:47
| ジャポニスムふたたび
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