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絵本の楽しみ ③

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昭和47年 こどものせかい より      フラアンジェリコ 受胎告知

 
通園していたカトリック幼稚園で頂いていた「こどものせかい」の裏表紙には、よく世界の切手などが載っていました。今思えばそれらの切手を通して、ロシアのイコンやフラアンジェリコの受胎告知など見ていたわけで、本当に恵まれた環境に育ったと思います。

いじめられたりしてよくめそめそしていた割には、幼稚園は私にとって居心地のいい場所でもあり、卒園した後も姉と一緒に日曜学校に通い続け、中学校にはいるとアメリカ人のシスターから聖書を学ぶようになりました。そのシスターはカナダの修道院で音楽を教えていて、サウンドオブミュージックの主人公マリアにもあったことがあるとかで、ご自身も本当にお声の美しい方でした。そうして何かに付け、私たちのことを気に掛けてくださり、色々なお話をしてくれたり、時としてクリスマスでもないのに素敵なカードをくださいました。それらは今でも宝物です。中でも心に残ったのは「和装の聖母子像」のカードでした。毎年お正月にはそのカードをくださり、なんとも不思議な印象でした。マリア様なのに着物…。そしていつの日か自分も和装のマリア様を描いてみたいと思っていたのですが…それはまだ実現していません。

美しいもの、清らかなもの、心癒されるもの…そんなものたちに囲まれて、自分は本当に幸せでした。大学に入ってから、色々な作品に出会いました。「選ばれる絵」「強い絵」「目立つ絵」「苦悩や問題意識を提示する絵」などなど。でも自分の心の中にある「絵」に対する最初のイメージが、聖母子像であったことは、私にとってとても大きいと、今改めて思います。幼少期から現在に至るまで、辛いこと、悲しいことは山のようにありました。けれど、それらの苦しみを「絵の世界」にぶつけることは、自分には何故かできませんでした。

あるクリスマスに、シスターが洋書の「クリスマスキャロル」の絵本をくださいました。その絵がもう何とも素敵で、本当は姉にくれたものだったのですが、何だかんだいって私がもらってしまいました。後にも先にもその絵本ほど美しい絵本は私にはありません。作家は日本ではほとんど知られていませんが、100年ほど前のオランダ人「ヘンリーウイルビーク・ル・ミラー」という人です。次回はル・ミラーの絵本を紹介します。


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# by akikomoriya | 2011-11-21 20:43 | おしゃべり

絵本の楽しみ ②

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昭和47年 こどものせかい より  「みんなげんきです」 絵と文 杉田豊


「こどものせかい」シリーズで出会った絵本に「みんなげんきだよ」という作品があります。杉田豊という世界的に著名なグラフイックデザイナー・イラストレーターの作品で、種になって飛んでいった花の子供たちが、それぞれに根を下ろした場所からお母さんとお父さんにお手紙を送る、というストーリーでした。

灯台のてっぺんや線路の真ん中、ワニの口に中など、思いがけない場所に子供たちは根を下ろしていて「みんなげんき」なのでした。杉田豊の作品はどれも色が鮮やかで配色が美しく、カラーインクのにじみも絶妙で、どれをとってもセンスがよいのです。大学に入学してその「杉田豊」が視覚伝達デザインの教授おをしておられると知り、怖いもの知らずの私は、入学早々早速研究室を訪ねました。
 


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トントンとノックすると、服装も香りもなんだかとってもおしゃれなおじさまが顔を出して、それが杉田先生でした。そして絵本を作りたいという入学したての小娘にてきぱきとアドバイスをくださいました。

「あなた絵画専攻なら、はじめから絵本を描くんじゃなくて、まずは大きな作品を自分の思い通りに描けるようにがんばってみなさい。大きな画面が思い通りに描けるようになれば、絵本の小さな画面は描けるから。」

ということでした。有名な先生だし、上手に追い払われちゃったのかな、と一瞬思いましたが、先生のおっしゃることも一理あるぞ、と思い、そのあとはひそかに絵本の勉強を続けながらも重点は日本画制作に置き、まずは150号の大作を自分の思い通りに描くことに専念したのでした。

しかし、その道のりは遠く、20年以上たった今になっても、未だ達成できないものの、昨年くらいから少しずつ、心に描くイメージと、描き出される画面のギャップが狭まってきたような手応えがありました。それでやっと、自分には絵本を描く資格というか、お許しが出たように思っています。今回の絵本は自分の中では三作目ですが、悔いの残らないような作品に仕上げたいと思っています。 

# by akikomoriya | 2011-11-18 21:07 | おしゃべり

絵本の楽しみ

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昭和47年 こどものせかい より  「ゆきのひのたんじょうび」 絵と文 いわさきちひろ


早くも11月も半ばすぎました。今年も後一ヶ月と少しですね。街はクリスマスの飾り付けで華やいでいますが、私はこれから勝負の今年最後の仕事が残っています。ヤマハから来年二月に出版予定の絵本の制作です。内容はまだ内緒!ですが、絵本の仕事をしていると、昔のことを思い出します。


通園していた幼稚園がカトリック教会付属の幼稚園だったため、カトリック系の子供月刊誌「こどものせかい」という絵本を毎月頂いてきたのですが、その絵本の中で、いわさきちひろの絵やお話をリアルタイムで味わうという幸運に恵まれました。

ちひろの絵は子供心にもやさしくあたたかく、何か独特の雰囲気が感じられたのを覚えています。中でも一番好きだったのが「ゆきのひのたんじょうび」というお話で、お友達のお誕生日におよばれされた「ちいちゃん」がうっかりケーキのろうそくを吹いてしまう事件から始まります。「自分のおたんじょうびじゃないのに~」とみんなになじられてしょんぼり帰宅します。そういう失敗や、周りのお友達の幼さゆえの心ない言葉や責めが、自分の身の上と重なり、何度も何度も読み返しました。

主人公の「ちいちゃん」はおそらく、ちひろさんご本人ではなかったでしょうか?他の「ちいちゃん」のシリーズもすべて、いわさきちひろ文の絵本は、幼心に迫るものがありました。大人になっていく課程で忘れてしまうような、小さな出来事、ちょっとした恥じらい、寂しさ、思いがけない喜び…そんなものがテーマになっています。幼稚園時代が終わっても、その後もずっと、絵だけではなく、物語の優しさに私は魅了され続けています。いわさきちひろという人はきっと、子供の心を忘れていないまま大人になった人なのだと、作品を見て思います。
 

またこの絵本の中で印象に残ったのが、紙をもみくちゃにしてその上に絵を描いている箇所があり、これまた「不思議な描き方だな~」と思っていたのですが、大学に入って日本画を専攻してから、このしわくちゃの紙が「揉み紙」という日本画の技法であると知り驚きました。また書に関しても相当な腕の持ち主であったらしく、デッサンにおける線の美しさも独特のものがあります。

色々な意味で研究熱心な方だったのですね。

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いわさきちひろの作品は、ふんわりとした甘い印象に語られがちですが、巷に多く出回る綺麗なだけの甘い作品と違い、しっかりとしたデッサン力に支えられています。
学生時代に、「こどものせかい」の編集室を尋ねたことがありました。そのとき、編集長さんだった蔵富さんという方がこんなお話をしてくれました。「いわさきちひろは農夫のような骨太なデッサンがあるからこそ、こうした淡い色調の絵が描ける」と。実際膨大な量のデッサンを残し、またモデルがいなくとも一歳と二歳の子供を描き分けることのできたまさに「達人」です。

ところで、社会人になってから絵本の仕事の打ち合わせがありました。絵本の業界では最大手といってもよい出版社でしたが、そこの編集の方が「いわさきちひろはよしてね。ああいう実在感のない作品はだめです。1ページずつ子供をモデルにして写真を撮って、それを見ながら描くような実在性のあるやり方が好ましい。」と言われれてびっくりしました。目の前にモデルがいなくても描けるほど、対象を頭の中に叩き込んでから制作しろ、と絵描き魂?を大学で学んできた私は、返す言葉もないほどあきれ果て、さっさとその仕事を断ってしまいました。あとからバカだと友人に言われましたが…。

今、絵本の仕事をしながら「農夫のような骨太さがあってこそ」という言葉をしみじみと思い出します。そして心からの尊敬を込めて、40年も昔から大切にしている宝物…「月刊 こどものせかい」をめくっているのです。

このいわさきちひろの言葉で心に残るものがあります。

「大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛してゆける人間になることなんだと思います。」

今の私には何とも重く響きます。きっとちひろも「周囲の人々の幼さゆえの心ない言葉」に幾度となく傷つきながら、明るい方へ、愛ある生き方へと、自らを導いて生きていたのでしょう。
ちひろの絵はあたたかく、優しく、寂しくて、懐かしい…。




# by akikomoriya | 2011-11-17 22:13 | おしゃべり

色の話

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 10月25日のブログで、日本人は藍色が好き、ということを描きましたが、日本人にとって大切な色がまだあります。好き嫌い、ではなく、日本人に一番尊ばれている色、それは白です。

 古代日本にはおよそ四つの色彩が認識されていました。白、黒、赤、青。中国人にとって中心を意味する黄はおそらくは白に含まれ、青は自然界の色彩全般を指すので、緑やグレーも含みます。黒は不浄や死、赤は肉体や血。そしてその「白黒赤青」の中で最も格の高い色は「白」です。

 厳密に言うと白は「素」であり、白い塗料ではなく、ありのままの色、ということで、木であれば白木、布ならば染料で染めてない晒しが最も尊く、その様子は伊勢神宮に行けば一目瞭然です。朱塗りの鳥居とは元々大陸から伝わった文化で、本来の日本人が聖なる色と見なしたのはやはり「素」「白」です。社も鳥居も橋も白木、布も紙もすべて白です。

 記紀には高天原に入る条件として「明し、直し、清し心」と記され、「清明心」こそが人として最も大切なことであり、国家や天皇に仕えるものの心構えとして「清浄心」が度々問われています。それは「日の光のように明るく、植物のように素直に、水の流れのように清い心」。その最高の心持ちを持つものこそ、高天原の住人に値するわけです。
 

 その象徴が「白」でした。


 そんなわけで、日本人にとって「白」は特別の色です。日本画では基本の「白」として「胡粉」を使いますが、牡蠣やアワビの貝殻の内側を精製したものです。「胡粉」あっての日本画です。淡い柔らかな、日本人好みの湿潤な「白」なのです。これはアクリルや水彩では決して出せない風合いです。


 ただこの「胡粉」の粉を接着剤である膠と練り合わせて絵の具の状態にするには、擦って、練って、叩いて、のばす、という気長な作業が必要で、やはり日本画は気長でないと続きません。

 ところで、以前熱田神宮で巫女をしていた友人に「お守り作ってるときって、何考えてるの?」とアホな質問をしたところ、「手を洗って浄めてから、黙ってお祈りしながら作業するんだよ」と言われ、敬服したことがあります。もしも巫女さんたちが昼ドラのついた部屋で、彼の話なんかしながらお守り作っていたら…さすがにまずいよね~と、改めて思い知ったのでした。
 
 日本人にとって最高の色「白」。海の恩恵から頂いた貝の白。これを扱うときにも、手を洗って祈りながら、擦って練って…の行程に当たりたいと、胡粉の扱いだけは慎重にしています。絵を持つ人にとって、この絵が「お守り」であるように、そして絵を持って以来、よいことが続くよ、と言ってもらえるような「招福」の力を保持できるよう、「白」に祈りを込めて描いています。

 

 
 

 
 
# by akikomoriya | 2011-11-02 23:48 | おしゃべり

お花の話 ②

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 SBS学苑の日本画講座のお生徒さんは、皆さん多趣味な方ばかりで、日頃から私の方が教えていただくことが多いように思います。先日は山野草を育てておられる方に「竜胆」を頂きました。


 実は子供の頃から大~好きで、何度も買っているのですが、なかなか毎年咲かせ続けるのは難しく、山野草を育てるのには、細やかな心遣いがないとだめだな~とその都度反省…。でも竜胆の藍色と袋のような花の形が何とも気に入っています。


 袋の形をした花でホタルブクロも大好きですが、これもまた別のお生徒さんから頂いたものが、庭先で毎年花を付けてくれます。ホタルブクロは比較的丈夫で、家の周りにも時々自生しているのを見かけます。白もピンクも可愛いです。中にホタルを入れて遊ぶ話が、松谷みよ子さんの「おときと狐と栗の花」という物語に出てくるのですが、いつかそんな風流な遊びをしてみたいものです。
 袋物では他に、桔梗の蕾とか、風船蔓の実とか、袋が開いたときは中から小人でも出てくるような気がして、本当に好きです。朝顔も花の奥の方に何かいるような気がして、これまたまじまじと見つめてしまいます。この美しさ不思議さは、やはり絵ではなかなか描き表せないのですが…いつの日か満足のいく作品を描きたいと思っています。


 ところで、金子みすずの詩はステキなものばかりですが、中でもお気に入りはこれです。



   夕顔

 せみもなかない
 くれがたに
 ひとつ、ひとつ、
 ただひとつ、

 キリリ、キリリと
 ねじをとく、

 みどりのつぼみ 
 ただひとつ。

 おお、神さまはいま
 このなかに。


 
 「自身が花であるかのように自然の中に生きる」というゴッホの言葉が好きですが、金子みすずもまた、そのような人であったと思います。
 この詩がもう何とも好きで、日々の生活の中でも、度々思い返しています。そして、この竜胆を頂いたときもまた思い出していました。





 

 
# by akikomoriya | 2011-10-29 21:12 | おしゃべり

蔓の楽しみ

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 秋も深まってきますと、あちらこちらにカラス瓜の赤い実が目につきます。「カラスも喰わぬカラス瓜」なのだと昔誰かに教わったのですが、紅葉の頃が過ぎた冬枯れの山野で、蔓も葉もカピカピに干からびたというのに、尚も赤く垂れ下がっている実を見るにつけ、「やっぱりカラスも喰わぬまずさなんだ~」と思ってしまいます。
 

 私は蔓ものの植物が好きです。まずは子供の頃から大好きだった「朝顔」。今でも朝顔の行燈作りを見ると胸躍る気持ちがします。最近では野生化して地を這いながら群生する、青や白など原種に近い朝顔が魅力的です。本来秋の草花であり、野生種は大変たくましく、初霜が降りるまでがんばって花を咲かせ続けます。蔓は左巻き、茎そのものが蔓なので、体全体で這い上がってゆきます。その姿は大らかで力強く、また人間業では到底及ばぬ麗しい曲線を朝ごとに描くのです。花はさらなり!まぁるい形は朝の光そのものを分散して放っているような清々しさがあります。しかも一日と言わず、朝の数時間のみ開花し、後は萎んで二度と再び顔を見せることはありません。その潔さと言ったら!朝顔はどこをとっても美しい!

 それから「カラス瓜」。これは本当にかわいい!茎から繊細な蔓が伸びて、近くに絡みつくものがないと自分自身に絡みついて、くしゃくしゃにもじかって玉になっている部分が時々あります。巻き方もまちまちで、右に左にチリチリ巻いています。

 植物の蔓を観察し、日ごと成長を楽しみながら夢中になってその曲線の美しさを写し続けた学生時代。あの日の延長線上に今の自分がいて、やっぱり蔓を描き続けています。

# by akikomoriya | 2011-10-13 20:25

木枯しの森

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 今日は老人ホーム「羽鳥の森」の竣工式でした。曹洞宗の名刹「洞慶院」のすぐふもと、緑に囲まれた静かな環境と最新の設備が整った素晴らしいホームでした。書家の小林椿園先生との初コラボである「木枯の森」の作品を列席された皆さまにお披露目できて、本当に幸せなひとときでした。

 木枯しの森の魅力にとりつかれて30年以上たちますが、静岡県の指定名勝であるにもかかわらず、羽鳥以外の静岡市民の方にはあまり知られていないのが残念です。今回老人ホーム「羽鳥の森」に和歌とともに絵を納める機会に恵まれ、心から嬉しく思います。


 平安の昔より多くの和歌に詠まれてきたこの森ですが、地元の人に最も知られているのは花ノ井有年の「ふきはらう 梢の音はしずかにて 名にのみ高き 木枯しの森」でしょう。森の中に鎮座する八幡神社の手前にその石碑があります。また江戸時代の国学者本居宣長による木枯しの森についての銘文も石碑に刻まれており、羽鳥の人々がこの森をいかに大切に思ってきたかを偲ばせます。


 「木枯の森」という名前は、もともと帰化人の「秦氏」がその本拠地としてかまえていた、現在の京都太秦の一帯を指します。太秦には現在でも秦氏の氏寺である「広隆寺」があり、弥勒菩薩半跏思惟像は国宝第一号となっています。また広隆寺に隣接して「蚕の社」という神社があり、これまた謎めいた三柱鳥居や元糺の池など、歴史ミステリーマニアにはたまらないスポットとなっております。


 秦の始皇帝の末裔を名乗る「秦氏」は、養蚕、機織りはもちろんのこと、土木建築、治水、交易等々における、優秀な技能集団として大和朝廷に迎えられました。おそらくは当時としてはかなりのVIP待遇であったことでしょう。桓武天皇による平安京遷都の背景には秦氏の財力があったといいますから、莫大な富と力を持っていた一族であったことが容易に想像できます。


 やがて秦氏は全国に散り、各地に機織り等の技術を伝え、静岡県内にも浜松、大井川、藁科川、富士川と秦氏の郷があります。ここ羽鳥は古くは「服織」と書いて「はとり」と読ませ、蚕を育て、絹を織り、この地に住み着いた秦の一族は、藁科川の中州の森に蚕の守護神である「馬頭観音」を祀り、その森を故地と重ねて「木枯しの森」と呼んでいたわけです。南に向かえば蔦の細道や小坂を越えて現在の東海道に、北に向かえば信濃伊那谷へと抜ける道でもあり、羽鳥の藁科街道は古代より随分と栄えたことでしょう。


 また木枯しの森は、神社の立地条件としても最も理想的であり、おそらくは、伊勢神宮などと同じく、神に仕えるもののみが、川を渡って森にはいることを許されていたのでしょう。木枯しの森古記には「朱鳥元年に皇族方がこの森に入られ…」という記述がに残されています。朱鳥元年とは持統天皇が、夫である天武天皇のご病気平癒のために年号を改めた年です。その持統天皇とは大変謎多き女帝で、式年遷宮をはじめとする伊勢の祭祀を現在のような形に整えたのもこの天皇のご成業であり、在位中31回もの吉野御幸といい、死の前年には現在の浜松まで来ておられ…もちろんそれらの理由は不明です。天皇家にとって、ここ駿河・遠江という地は、単なる東国のへき地ではなく、何らかの事情を持った土地、あるいは何かを封印されている土地のように私は思うのですが…
 

 今は県の指定名勝としてその名をとどめるのみの木枯しの森ですが、かつてはこの地域一帯を浄める神域であり、現代人が知るよしもない、秘め事を保持した森であったように思えてなりません。


 牧ヶ谷橋から眺める木枯しの森と藁科川の清流は、見れども見れども飽きることを知らず、何度訪れてもまた会いに行きたくなる懐かしい風景です。


 人知れず 思い駿河の国にこそ 身を木枯の森はありけれ    



しみじみ郷愁を誘う木枯しの森です。
 

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# by akikomoriya | 2011-10-09 19:57 | おしゃべり

自身が花であるかのように生きる

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 このコスモスの小品は、昨年の個展に出したものですが、とっても素敵な女性が購入してくださいました。
本当にお花のように素敵な女性でした。

 日本が大好きだったゴッホは日本人のことをこんな風に語っています。

「日本の芸術を研究していると、紛れもなく賢者であり哲学者で知者である人物に出会う。…その人はただ一茎の草を研究しているのだ。…どうかね、自身がまるで花であるかのように、自然の中に生きる、こんなに単純なこれらの日本人が我々に教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。」 


自身が花のように生きる。私はこの言葉が本当に好きです。

 そんな生き方ができたら本当に幸せです。花も草も嘘をつかない、裏切らない。そして、もっとすごいことは、嘘をつかれても、裏切られても、恨まず愚痴らず、いつでも明るい方を向き、ちゃんと花を咲かせ、空に向かって伸びてゆくこと。そんな風に生きてゆけたらいいな…と花を描きながら思う。今は無理でも、いつの日かきっと…!

 コスモスの小品を買ってくださった女性は、どんな困難の中にあっても、明るい方へ明るい方へと、自らを導いてゆける、華やかで力強い、お花のような方でした。 

 幸せなことに、私の周りには、お花のように生きている素敵な友人がたくさんいるのです。

# by akikomoriya | 2011-09-29 20:52 | おしゃべり

お花の話

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 友人で、お花の仕事をしている人がいます。フラワーアトリエ エボニー&アイボリーの鈴木さんです。困ったときは必ず助けてくれる宇宙人みたいな人です。
 この間会ったとき、ご自身のお仕事について「…まあ商売だからね、でも花をいとおしいと思う気持ちは必ず持っているよ」とぽつり。

 だから鈴木さんの作品は、作品と言うより、鈴木さんの手によって「新しい自然が広がった」ようなものになるんだなあ、と思いました。「花は摘まれた時点で一度死んでいる。その花に再び新しい存在の意味を与えることができたら…」そんな風にも話していました。

 神様は人をご自身に似せてお造りになったと聖書は言いますが、それは姿形を言うのではなく、「創造する力を持つもの」として、ということなのだと思います。アーティストってそういう仕事ができる人のことかなって思います。進化創造し続ける宇宙の最先端に人の手があって、その手によってさらなる宇宙が創造されてゆく。その根底にあるエネルギーは、我欲や物欲ではなく、野に咲く花を「いとおしい」と受け止める想いでありたいと、鈴木さんの作品を見ていつも思います。

 
 

# by akikomoriya | 2011-09-29 00:13 | おしゃべり

日待祭

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                       静岡浅間神社 大歳御祖神社 日待祭灯籠


 お日待祭の灯籠を今年も描かせていただきました。今年は桜を描く機会が多かったので、お礼の気持ちを込めて山桜にしました。神殿の正面に飾っていただき光栄です。しかも…よく見ると、昨年奉納した作品も展示されておりました。大歳御祖神社の神様は古くよりこの地にあった「安倍の市」の守護神です。その「安倍の市」を歌った万葉歌があり、作品にしたものです。


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 「焼津辺にわが行きしかば 駿河なる安倍の市道に逢ひし児らはも    春日蔵首老」 

# by akikomoriya | 2011-09-24 14:53 | 日本画